7.桜と風景

桜だけ?

09.04.04上福岡何年か前に家族で伊豆高原の桜を見に行った(左の写真は4月4日の上福岡中央公園の桜)。ソメイヨシノが3kmに渡って道路を覆っていた。さすがに駅を降りて桜並木に降り立ったときは圧倒された。しかし、歩き続けるうちに何か違和感が芽生えてくる、何かが足りないと。確かに桜は沢山咲いていた。有名な桜の一本桜は「どこどこの桜」と固有名詞を冠せられ、その一本桜そのもので自分を主張している。例えば里桜でも園芸種であろうとその種類で個性を出している。ソメイヨシノがあまりにも流行ったお陰で、沢山あるソメイヨシノは、なまじ一本ではなく花見用に多くが桜並木となった。では、何が違うのか。入社した始めてのGWに東北に行った。当時は桜前線など気にもしていなかったので、予想もせずに弘前城に行ったときに見た桜は圧倒的であった。弘前、城、青空、そして桜。09年3月28日に行った京都醍醐寺のシダレ桜も醍醐寺だからの桜であった。09年4月5日に行った秩父青雲寺では、寺の風景と年輪を思わせるシダレ桜。09年4月8日白金台の公園で見た桜は、子ども、お母さん、青空があった。一本桜は一本桜の年代を経た孤高の美しさを持ち、桜並木もそれを移す風景を持っていた。そうしてみると伊豆高原の桜には風景がなかったような気がする。いたずらに桜を数多く植えるのではなく、背景としての風景と一緒に見る桜がいいのではないかと思う。

09.03.28京都醍醐寺の桜

09.04.05秩父青雲寺の枝垂桜

09.04.03芝離宮の桜

09.04.08白金台の公園の桜

桜は主役か?

09.04.03浜松町特にソメイヨシノはどこにでも咲いている。「どこどこの桜」というように個別の属性が欲しい。そして、背景が富士山であろうと、公園の桜であろうと、疎水に枝垂れる桜でもとにかく個別の風景を持っていて欲しい。しかし、待ってくれよ。それじゃ桜が主役か風景が主役なのだろうか。桜が咲き乱れるのはほんの一週間、またそのあとの瑞々しい葉桜、暑い夏の日の木陰。やはり主役は風景で、桜は脇役なのではなかろうか。派手な脇役だが、そこに桜があると何も不思議は感じないが、なくしてみると物足りなくなるような気がする。散りゆく桜を観ながら、つれづれにつまらぬことを思ってみたりした。

 4月11日(土)東京の桜(ソメイヨシノ)はあらかた散った。代わって予想もしていなかったがもうハナミズキが花(実際はガクだが)を咲かせ始めた。