4.ポプラの秋(中国でみたポプラに寄せて)

08.11.21瀋陽中国瀋陽で名前が分からなかった樹があった。しかし、街路樹で使う樹はそれほど種類があるわけではないし、人々も結構親しんでいる樹のはずである。しかし、瀋陽ではほとんど枯れていたし、樹の名前を聞く人もおらず、思いを残して北京に移動した。

08.11.09川越北京にも同じ樹があった。結構街路樹として使われているので、案内をしてくれたR氏に「この樹は何の木かご存知ですか」と聞くと「ポプラ」だという。ちょっと待てよ、ポプラってあの北大のシンボルようなすくっと伸びた樹ではないのか。どうみても樹形が違うが、と正直半信半疑であった。

ポプラの秋

  湯本香樹実の「ポプラの秋」という本がある『住宅街の屋根の間から、電柱より高い木が、にゅっと出ている。風は感じられなかったけれど、高いところの葉っぱはゆさゆさとゆれていて、見ているだけで汗がひいた。「あの木を見に行こうよ」「うん」と私はうなずいた。』 初めてその木を見た時の親子の会話である。二人はそのポプラのあるアパート(ポプラ荘)に引っ越すことになるのだが。千秋がストレスから小学校に行けず自宅で療養したとき、『清々しさ、というものを生まれて初めて意識に刻んだのは、あの時だったと思う。雨上がりのひんやりとした秋の空気を、私は胸いっぱいに吸い込んだ。そしてあたりが明るく金色に輝いているのは、ポプラの木のせいだということに気がついた。私はしばらくの間、寒いのも忘れて、澄みきった空に伸びるその大きな木を見つめていた。透明な光が、黄色く色づいたポプラに降り注いでいる。いつの間に、こんなに色が変わっちゃったんだろう。夏の間、あんなに毎日毎日この木を見ていたのに、一体私はそのあと何をしていたんだろう』アパートの管理人、死者への郵便配達をすることで皆から慕われていたおばあさんがなくなったとき千秋は葬儀にくる。

ポプラにも種類があった


 日本ではポプラというと、明治以降アメリカから入ってきたセイヨウハコヤナギをさすが、ポプラという名称はヤナギ科ヤマナラシ属 (Populus) の植物の総称で、実際にはポプラにはいろいろな種類がある。有名な北海道大学にあるポプラ並木はヨーロッパクロポプラである。東京の街路樹に植えられているポプラは、樹高が低くて暑さに強いカロリナポプラである。葉柄が長く風が吹くと葉が触れ合いサラサラ鳴るのがポプラの名前の由来らしい。
 さて、中国では多くのポプラ造園があり、耐塩・水・乾性の強い改良ポプラを作っているという。そういえば、瀋陽でも北京でもある程度整然として植えられていた樹がこれだったのだろう。また、地面から1mくらいが白く塗られているが、これはポプラが病気に弱いため硫酸銅と生石灰の混合液で殺菌しているそうである。これらは帰国してから調べて分かったことで、新たな発見であった。
 本HPでは中国でみたポプラは詳しく分からないが、少なくともセイヨウハコヤナギではないのでカロリナポプラとして整理した。

08.11.19瀋陽、ポプラ造園

08.11.20北京、ポプラの街路樹

08.11.20樹皮は若木は白くひし形の皮目

08.11.20北京、長い葉柄と三角形の葉身

ポプラは

  『けれど、ふと顔を上げると、ポプラの木は今も紛れもなくそこに立っていた。午後の陽射しを浴びながら、金色の葉をかすかに鳴らして。それは過去でも未来でも夢でもまやかしでもなく、あまりにもはっきりした現実そのものだったので、私は瞬間、頭のなかが真っ白なってしまう。ポプラの木はいきばないなんてことは考えない。今いるところにいるだけだ。そして、私もいまここにいる。落ち葉を拾い、スカートのポケットに入れようとしてすぐにやめた。アパートがなくなったらどうなるか分からないし、私がこの木を忘れることなどないのだから、それで充分だ。』人々の人生に樹が深く関わっていることで覚えていた本である。ところで、このポプラはセイヨウハコヤナギであろうかカロリナポプラであろうか。そもそも、セイヨウハコヤナギをアパートに植えるだろうか、それにアパートは2階建てでセイヨウハコヤナギは大きくなりすぎではないか、かといって、あのすくっとたつ樹形には捨てがたいものがある。ちょっと気に掛かったことである。