10.記念樹

10.06.03県立明石高校野球部部室にてこの写真は県立明石高等学校野球部部室に飾られていた。昭和8年(1933年)8月19日に甲子園球場で中京商対明石中の試合が行われた。試合は延長25回、スコアボードが足りなくなりゼロを書いては釘で打ちつけ継ぎ足していった。25回延長による決着は、県予選、春・夏の大会を通じて高校野球史上最長記録である。明石中には剛球投手として名高い楠本がいた。楠本は前回大会で4試合36イニングを投げて被安打9、奪三振64、与四球8、失点3というすばらしい記録を樹立し、本大会でも3試合24イニングで奪三振38、失点0、2回戦水戸商戦では中田との継投でノーヒットノーラン達成している。しかも、楠本は春の選抜大会準決勝で中京商を3安打完封に抑えていた。当日のピッチャー中田、25回裏中京商は先頭打者が四球で出ると、次打者がバント安打、続いて犠打が野選になって無死満塁。打順は1番大野木。打った当たりは平凡な二ゴロであったが、二塁手が雑な握りのままあわてて本塁へ送球したため悪送球となり、ついに中京商のサヨナラ勝ちとなった。(Wiqipediaより)
 女房が勤めるデイサービスにある利用者がいる。その方は楠本さんといい、あの楠本投手の奥様であった。楠本投手は戦争に招集され中国で亡くなっていた。一人息子さんは数年前定年退職をしている。ひょんなことから現在夫婦揃って西国札所巡りをしている話になって、今度姫路に行くと聞いた楠本さんは、時間があったら是非明石高校へ行って記念樹のクスノキを見てきてくれないかと言った。昭和49年くもん出版から「いつか見た甲子園―悲運の剛球投手楠本保の生涯 (楠本夫妻の愛のシリーズ)」という本が出版された。その出版を記念して楠本投手の母校に記念樹を植えたのだという。その樹がどうなっているか知りたいと言う。

 6月3日播州清水寺、中山寺を回って姫路に行く途中明石に寄った。すでに時刻は18:19、関東なら薄暗くなっている時刻だが、西日本だったのでまだ夕闇迫る時刻には多少間があった。楠本さんは行くなら校長に手紙を書くと言っていたが予定はどう変わるか分からないのでこれは辞退した。受付もせず明石高校の校門を入るとすぐに甲子園の記念碑が目につく。すれ違う生徒や若い先生に聞くと、25回延長戦の試合のことは知っているが記念樹は知らないと言う。断わることもなく校内をうろうろし、球を打つ音がする野球部のグランドに向かっていった。野球部員は練習中であったが突然グランドに入って来た我々に礼儀正しく挨拶し、話を聞くとすぐに一人がバックネット裏に走ってくれ、そこに記念樹があることを告げた。記念樹はバックネット裏から後輩たちの練習風景を見下ろす形で立っていた。その後マネージャの女子高生が部室まで案内してくれ、冷たいアイスコーヒーまで頂戴した。壁には当時の写真が掛けられてあった。実に爽やかな礼儀正しい後輩たちであった。

10.06.03バックネット裏の記念樹

記念樹のクスノキ

夕日をバックにした記念樹

甲子園出場を記した記念碑

 戻ってから写真を印刷し楠本さんに届けた。まだそのときの話は聞けていないが、おそらく懐かしく見ていただいていると思う。その記念樹は25回延長試合の記念というより、楠本さんの夫婦の記念樹なのだろう。楠本さんのように何かを記念して植えた記念樹ではないにしろ、人は記憶の中にそれぞれ何本かの記念樹を持っているのではないだろうか、その樹を通してなんらかの想いを樹に託してきたのではないだろうか。時の流れの中で、樹は人間より長寿で成長を続けていき、その人が亡くなってもその想いをいつまでも留めている。写真を差し上げるのを楽しみにしながら、姫路に向かう列車の中でそんなことを思った。