13.雑草の話

 雑草学という学問がある。農業生産や緑地管理を行う上で、雑草を防除することは重要な命題である。日本農業が古い時代から悩まされ続けてきた大きな障害の一つが雑草である。なにしろ雑草は抜いても枯らしても、いつも間にか復活する。群生しあたり一面を覆い尽くす。実に生命力が強い植物である。しぶとくたくましい。雑草とは、「自然に生えるいろいろな草、農耕地で目的の栽培植物以外に生える草。(広辞苑)」否定的に言えば、自分自身で健気に生きているのに、人間に邪魔者扱いされるもの、また、肯定的に言えば、踏まれても逞しく生きていくもの、というところであろうか。

 植物学者の牧野富太郎は多くの植物の命名を行い「雑草という名の植物は無い」と言っている(出典不詳)。また、昭和天皇が留守中に、お住まいの庭の草を刈った侍従の入江相政(すけまさ)に尋ね
「どうして草を刈ったのかね?」
「雑草が生い茂って参りましたので、一部お刈りしました。」
と入江は答えた。すると天皇は、「雑草という草はない。どんな植物でもみな名前があって、それぞれ自分の好きな場所で生を営んでいる。人間の一方的な考え方で、これを雑草として決め付けてしまうのはいけない。注意するように。」と諭された。(入江相政「宮中侍従物語」)

 昭和天皇が牧野博士の言葉を知っていて言ったのか、それとも偶然同じような言葉が出たのか定かではない。しかし、どちらが言った言葉かなどは、それほど重要なことではない。二人の言葉にはそれぞれに深みを持つが、明らかに違いがある。牧野は今まで名前さえなく雑草と言われていた植物にもきちんとした名前を付け、独立して植物としてみるべきだと思い多くの植物を命名した。いわばそれぞれの植物のアイデンティであり、まさに植物学研究の基本スタンスである。かたや、昭和天皇の雑草論は、それぞれの雑草と言われる植物にも生命があるように、広く生命に対する畏敬の念である。

 樹木やその花に興味を持ってホームページを始め、草花は高山植物には興味があったが、種類、数も多いし、雑草まで手を広げようと思わなかった。あるとき、家の塀の下の隙間に雑草がはびこり、日々横に広がっていった。雑草というからには早々に抜いてしまおうと思っていたが、その草が1cmにも満たない花を沢山つけ始めた。よくみると結構面白いもので、カメラに収めその名前をネットで探した。これは「ツタバウンラン」と分かったが、こうして周りを見渡すと、「マツバウンラン」や「ハゼラン」等今まで見過ごしていた小さいがきれいな草花も多い。あるいは子供の頃から見慣れた草花も名前を知らないものが多かった。ヘクソカズラ(屁糞蔓)は葉をこすり潰すと臭い匂いがする。「ヘクサイ(屁臭い)」から転じたともいわれる。とはいっても可哀そうな名前付けである。「ハキダメギク」は、掃き溜めに咲く菊ということだが、この名付け親がかの牧野富太郎というから意外であった。もう少し、配慮した名前を付けてくれたらとも思ったりした。

 樹木だけだと春や秋に花を咲かせるものが多く、夏冬は少ない。野草も基本的には同じだが、種類が多く、花もはっきりしないものもある。イネ科などは種類も多いし似たものも多いので迷うことが多い。なにしろ、植物園等には普通名札を付けて植栽されていないので名前が分からない。カメラで撮ってはネットで名前を探すことの繰り返して、名前が分かると草花も一つの植物として識別され、存外に面白くなってきた。植物のアイデンティにしろ植物への畏敬の念にしろ、ともかく、観察し、識別(同定)することは新しい発見で楽しく、散歩さえ道端の草花の名前を知っていることで楽しくなる。