よぼいちの移住生活
=== はじめに === ”よぼいち”は、私のニックネームです。私がホームページを開設したのは2005年頃でした。大学で講義する「情報通信理論」は言葉だけでは、なかなか理解が困難なことが多く、ホームページを作ってスクリーンに投影して説明してきました。でも、このような講義をすると、可視化によって講義のスピードが速くなり、内容が単純化して終わります。一枚のスクリーンでも、その裏に基礎概念が山ほどあるはずです。私のハイパーテキストの項目はどんどん広がりました。同時に、ホームページを訪問する人がどんどん増えました。アクセスがあちこちに分散したのだと思います。 70才を過ぎた2011年5月、千葉県から沖縄本島の南城市の村へ移住しました。引っ越しの日、台風が鹿児島に上陸し、欠航を心配しましたが、運よくオジーとオバーと犬一匹は成田空港から那覇空港まで台風の上を越えて無事に那覇に着きました。 沖縄の南の村で悠々と隠居したい、仕事はない、お金は少々、美味しい空気、常緑樹の森、小さな庭で花木を植え、少し歩けば海が見える。しかし、一つ気になることがありました。それは、現役時代から徐々に膨らんだホームページです。その構造は大きなハイパーテキストと小さなプライベートな雑文からなっていました。 問題は、私があの世に逝った後も、大きなハイパーテキストを若い学生やエンジニアたちに保存したいということでした。このことは私に限らず、現役の先生もOBの先生も同じ考えを抱くと思いました。当時、私は東邦大学のメディアセンター長をしており、医学、薬学、理学の先生方の研究成果を大学の知的財産として管理するVirtual Labolatory を立ち上げました。この結果、私のハイパーテキストは下記のアドレスに移り、管理していただくことになりました。 東邦大学 (メディアネットセンターの活動) Virtual Laboratory 情報通信のハイパーテキスト
===現在の日常生活 === 今日 (2018/10/01)、私は沖縄の南城市の自宅で、プライベートなページを統合する作業をしています。一昨日(2018/09/29)、沖縄は近来最強の台風に襲われました。庭の樹木の枝葉はボロボロ。一昨日の昼の停電は本日9時にやっと回復しました。この様子は7年前に移住した2011年とまったく同じです。強烈な風圧台風と居座わり続ける停電台風、・・・・あのときの様子を旧ホームページに掲載していたので、改めて紹介いたします。 2011_typhoon 2012_typhoon ; 。 沖縄での日常は庭の手入れ、そして南城市の学習支援ボランティアで、あちこちの小・中学校へ行き、生徒の勉強の相手をすることです。私はここで、初等教育の難しさを直接肌で感じることになりました。小学生は産まれ落ちて未だ10年前後、従順な子や我がままな子が教室で飛びまわっている。そんな環境で、四則演算、漢字の意味や送り仮名などを勉強する。これ、私にはしんどかった! そして、私がボランティアで初めて発見した不思議なことは、算数の引き算の答えがみんな正の数になっていたこと。この理由を大人の教師に聞いても分からない!、本当は、代数学の神髄に関わることだけど・・・・。 というわけで、私は、このテーマに憑りつかれ、とうとう『おやじの小学校算数』のタイトルで自費出版しました。売れませんでした!
=== お遊びの履歴 === さて、私のお遊び、それは 『できるだけ大きな目標をたてて、一人旅(寅さん)をすること』です。以下、定年前からの一人旅の経歴をたどっていきます。 一人旅(その1) 四国遍路(完全歩行の区切り打ち)+α 1998 summer 医者の一言「中性脂肪は歩けばすぐ治る」が頭に残り、なぜか四国遍路が頭から離れなくなった。予備知識も信仰心も無いまま、徳島空港へ行った。 1999 earlyspring 徳島市内から日和佐を越え牟岐まで。 霙(みぞれ)交じりの寒風が横から叩きつけた。これも修行ってことかいな! ああ、19番札所が待っている。 1999 winter 京都での学会のついでに、奈良盆地を電車や徒歩で散歩してみた。古代の人たちはどんなものを食べていたの?、冬はどんな服を着ていたの?、いまの僕と会話ができるかな〜?。興味は果てない! 2001 summer 牟岐から室戸岬まで、ただ歩くだけの一直線。地図ではそのように見えるが、歩いてみると岬、岬、岬、・・・・。その上、台風接近。 2002 summer 前回は室戸岬を回り込んだ奈半利から、バスで高知空港まで行って千葉へ帰った。今回は奈半利から海岸を歩く。高知市内を見物して、仁淀川に近い札所の近くで泊。 2003 may 故郷の石川県小松市で「いとこ会」。5月15日の小松は子供歌舞伎の山車で賑やかになる。続いて、近くの白山市でも「おかえり祭り」という奇祭で賑わう。 2003 summer 青空の下、仁淀(によど)川の白砂の岸部。なんと、晴れやかな朝! 大きなセメント工場がある須崎市を越えて、山が海に迫る辺りから七子峠を登る。峠の向こうは窪川という町。流れる川は四万十の上流であり、窪川の上は源流のようです。 2004_november 情報やコンピュータの初等教育の調査で中国、シンガポール、香港の初頭学校を訪問した。この調査を終えた後、USAとUKとIrelandの一人旅をした。USAではPrinceton univ.と、UKKのKings College of Londonを訪問して、 short_talk(内容が専門的なのでスルーしてください!)をした。そして、Irelandではレンタカーで牧歌的な島を半周した。 2004_summer 四万十川の河口から宿毛方面には国道や鉄道がある。しかし、足摺岬の先端に札所があるので、かなり大回りすることになる。大回りの遍路道は偏狭で、民家も少なかった。 2005 july 東関東高速道の利根川橋のたもとにある佐原市は、古くから関東の内陸と海洋を繋ぐ商売で繁栄した。今も昔の民家や商家がそのまま残っている。夏祭りの佐原囃子は無形文化財である。 2005 September 中国東北地方のハルビン工業大学を訪問した。建築はロシアのモスクワ大学とそっくりである。 2日間講義をしてきたが、200人の学生の熱気には驚いた。朝8時には満席になっていた。ぼくが日本語で話をして、日本語が達者な中国人のDさんが中国語で説明した。ハルビンの水餃子は美味かった。具の種類やスープの種類が多く、それらの組み合わせは無限大!小さな餃子が口の中でツルッと滑る。 2005 summer 愛媛県の御荘(みしょう)をスタートして、宇和島までは、リアス式海岸の複雑な遍路道を歩く。国道のトンネルを行けば時間が短縮できるが、廃棄ガスがすごいし、それはおいらの主義じゃない。宇和島市はどこか文化的な匂いがする中ぐらいの都市である。 2008 summer いよいよ結願。八十八番で結願の印を頂き、なぜかそれほど大きな感動が湧かない。空海はいったい何者だったのか?とにかく行動範囲はメチャメチャ広い。海外へも出かける。日本のそこらじゅうに弘法大師の足跡がある。事実かどうか分からないが・・・・・。 wikipedia によると、774年、香川県善通寺で誕生。名前を佐伯真魚という。とにかくこの山を下りよう。まっすぐJR徳島線 学(がく)駅で徳島駅行きに乗り、ビジネスホテルで横になった。明日は高野山。
一人旅(その2) 東北6県の自動車による道の駅スタンプ制覇
一人旅(その3) 北海道東半分の道の駅制覇。自動車免許を返納。南城市内探検。
一人旅(その4) YouTubeでJukeBoxを作り、音楽世界をさまよっています。
2019年5月開設
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