遍路紀行 (2005年 夏)               今回のマップ    全体マップ

定年後、初めての区切り打ち。 楽隠居でゆったりという期待を裏切り、もろもろの家庭事情や仕事事情のため、11日(歩きは8日)のスケジュール。 現在、四国の降雨量は平年の半分以下、深刻な水不足。 今回の遍路は、雨は夕立の一度だけ、すべて快晴だった。

8月9日
羽田から高知空港、高知駅から”くろしお鉄道”で東宿毛駅へ。 事故以来、宿毛駅は未だ閉鎖されている。 東宿毛から宿毛までは無料バスが運行しているというアナウンスだったが、待機してるのはタクシーばかり。 ビジネスホテルにて泊。

8月10日
 無人駅と化した宿毛駅前で、7時半の宇和島行きのバスを待つ。 自転車と歩きの二人の”職業遍路”が住み着いていた。 自転車の男が歩きの男を連れて行ってくれと頼んできたが、二人とも酒臭いので断った。 

面目ねぇー 酒の修行に 宗旨変え

前回のゴール、御荘(みしょう)でバスを下り、観自在寺(40番)でスタートのお参りをする。 本日は津島まで27キロの行程。 国道56号を歩き、正午ごろ、内海という漁村に着く。 道路わきの掲示板に柏峠越えの遍路道(9.8キロ)の地図がある。 この道は持参した遍路地図に載っていなかった。 ちょうど対面に公民館があり、地図を入手。 中学生が作成した6ページのプロ顔負けの楽しい地図。 職員が、「ちょっときついけど、国道より距離が短い」と言うので、この道を行くことにした。 排気ガスのトンネルを4つもパスできるのが有難い。 ペットボトルを2本買い、柏坂を登り始める。 たちまち息が上がり、足が固まる。 小休止して峰々を仰ぐと、はるか頂上付近を水平に貫く直線、林道だろうか? 「もしかして、あれを越えるの? オイオイ!」。 老眼鏡を取り出し、改めて中学生の地図を見る。 峠の頂上は460mとある。 やっぱり、工事中の林道をまたいで、更に登ることになった。 なぜか、野口雨情の歌を記した看板が次々と現れる。 「梅の小枝で やぶ鶯は 雪のふる夜の 夢を見る」・・・、あえぐ遍路に、なんとトボケタ詩、「ええかげんにしてくれぇー!」。 由良半島を眺望できるポイントは一箇所だけだった。

峠越え 足下の国道 恨めしや

地図の注意書きに、「夏はヘビに注意」とあったが、3匹の黒ヘビに遭遇した。 とうとう、一匹の人にも会わず峠を下りてきたら、「熊出没、注意」という看板・・・、「ゲェ、くまぁ〜〜! 四国に熊がいらっしゃるのー?」。 津島は小さな漁村だが、湾には無数の真珠養殖の棚が浮かんでいる。 生産量は全国一だという。

棚一つ 首飾りにして 何頭分?

築100年の三好旅館に到着。

客よりも 格式高き 門構え

8月11日
41番がある務田(むでん)という村の民宿に予約を入れて出発。 本日は20キロあまりの国道を行くだけ。 宇和島市を散策する予定。 県立宇和島東高校の校舎には、祝優勝や祝出場といった垂れ幕が13本。 写真を撮っていると、生徒たちが「こんにちわー」と声をかけてくる。 地方の高等学校の校舎は本当に清掃が行き届いている。 大学とは違った懐かしい”学びの精神”が大切に育(はぐく)まれている。 うっそうと樹木が茂った広大な宇和島城址を回ると、鉄道唱歌を作った大和田建樹の生家跡があり、宇和島の中心街に入る。 城址と共に、宇和島のもう一つの中心は和霊神社である。 産業の神を祀(まつ)ったこの神社は、高知の土佐神社と共に、強い印象をぼくに与えた。 境内の木陰で寝転び、コンビニで買った弁当を食べ、市民の憩う姿を見ながら、心地よい時間を味わった。 
 41番への県道57号は何の変哲もない生活道路。 予土線という鉄道が平行している。 ちょっとした広場があり、樹木が影を作り、そこに自動販売機や氷屋さんがあった。 ハワイアンブルーというかき氷を買って食べる。 郵便配達の若者がバイクを止めて、自動販売機のお茶を買っている。 「ネクタイなんかして、暑くない?」と聞くと、「規則ですから」と言って、にこにこして去っていった。 

ネクタイに 郵政の意地 反民営

41番で納経を済ませ、民宿に行く。 雑貨店を営む雑然とした民宿。 「汚い!」という予感がしたが、いまさら仕方がない。 その晩は、ぼくの隣の部屋にも夕食の準備がしてあったが、とうとう客は現れなかった。 最近、連絡なしのキャンセルが多いらしい。 41番の宿坊でもバス1台(40人)の連絡なしキャンセル事件があり、バスを探し当てて、半額のキャンセル料を請求したという話である。

今日もまた 膳がむなしく 客を待つ

8月12日
42番で、41番の宿坊に泊まっていた3人の遍路に会う。 20才前半の男性と30才ぐらいの女性と35才の男性。 少し会話をしたが、それぞれあっという間に追い越されてしまった。 そして、一人ぽっちのノロノロ歩き。 今日は宇和町まで、20キロ足らずだが、難所と言われる歯長(はなが)峠を越える。 42番の前の自動車道を少し行って遍路道に入る。 じわじわと登りがきつくなり、足が前に出ない。 立ち止まり立ち止まりの末、再び自動車道に出る。 難所はここから始まる。 自動車道を行けばトンネルを通って、ゆるやかに迂回して下るが、遍路道を登れば、「苦をとるか楽をとるか、胸先三寸の別れ道」・・・と案内書に書いてある。 遍路道に入ると、「これより200mの急坂」の看板。 鉄の鎖がまっすぐに頭上の樹林に消えている。 「うわー、やめてくれー」、「もし、トンネルがなかったとせよ。 そのとき、この地形にはこの登りしか手段はなかったのか?」と、山の形状に科学的根拠を探す情けない自分。 遍路道は修行道! 

苦をとって 悔やみたらたら 歯長越え

頂上は高圧線の鉄塔があって開けており、見晴らしがよい。 遠く自動車道を見下ろしながら一気に下る。 自動車道に休憩所があり、そこで千葉県木更津市の80才の”通し”に会う。 歩きと交通機関を使ってのんびりと80日の予定で2回目の通し打ちを楽しんでいるとのこと。 飄々とした人生観が漂っていた。 43番の納経を済ませ、卯之町の富士廼家旅館に到着。 料亭を兼ねた古い旅館に宴会が入っていた。

築何年? 女将も知らぬ 老舗宿

8月13日
卯之町から内子まで、国道56号を32キロ。 真夏の照り返しの国道歩き。 宇和から鳥坂峠まで登り、トンネルを越えると大洲(おおず)市へ下る。 遍路道はトンネルの脇から山を越える。しかし、遍路道の標識がいくら歩いても見当たらず、またトンネルの入り口へ戻ってしまった。もう一度チャレンジしたが成功せず、しぶしぶトンネルを行くことにした。トンネルを出ると、子供とお父さんの自転車が大洲から上がってきた。 「トンネル、気をつけてください」とお父さんに挨拶すると、「おおきに」と大阪弁が帰ってきた。 1100mの長いトンネルは歩道が狭く、交通量が多くて危険。 「こんなトンネル、誰が作った! 責任者出て来〜い!」と言いたくなる。 長い下りの末、やっと大洲の街が見えてきた。 反対側のガードレールに自転車を立てかけ、派手なサイクリングスーツを着た夫婦が休んでいる。 ブルーのスーツの旦那さんがにこにこして挨拶を送ってきたが、ピンクのスーツの奥さんはもうバテバテ状態。 「トンネルまで、まだあるのん?」と奥さんが聞いてきたが、一瞬、返事に困ってしまった。 彼らは未だ登り始めたばかり。 嘘は言えないので、「うーん、未だかな〜りです」とスーツに敬意を表してお答えした。 そして、「トンネルは危険なので気をつけてください」と付け足してしまった。 「ピンクの奥さん、申し分けない!」。
 大洲市は四国の小京都、肘(ひじ)川が街を二つに分けている。 宇和側が旧市街で、”明治の町並み”、”おはなはん通り”、”臥龍山荘”などがある。

路地裏で 鮎を商う 小京都

56号は、肘川を渡ると、旧商店街を抜け、大型店が並ぶ現代の町並みへと続く。 大洲から内子に至る夏の56号は、現代の難所と言ってもよい。内子の郊外の大きな旅館で泊。

新行場 六里あまりの 照り返し

8月14日
旅館を出てすぐ、小田町の旅館を予約する。本日は25キロの行程となる。 10時ごろまで、内子の町並みをゆっくりと散策したい。 ここは、軒の低い古い町並みが長い区間に渡って保存され、中心に内子座がある。 内子座は毎日のようにプログラムが演じられている。 学生のような男女が機材を運んでいた。 みやげもの屋のお嬢さんが、「お接待ですから、お茶をどうぞ」というので、冷たい緑茶をいただいた。 おいしかった。
やっと国道56号から開放され、県道379号を行く。 交通量は少なく、道は清流を右に左に見ながら谷底を行く。 木陰が涼風を運んでくる。 
3時間半ぐらいで、突合(つきあわせ)という交通の要所に至る。 遍路道はここで右と左に分かれる。 食堂ぐらいあるだろうと信じてきたが、民家は少ない。 うろうろしていると、汚い店から女の声が飛んできた。 「こっちへ行くと近いよ、お茶をどうぞ」と言ってるようだ。 食堂のような、宿のような、ずーっと休業してるような、なんとも妙な店に入る。 女はよくしゃべり、「お遍路さんの話を聞いてストレス解消してあげてるけど、私のストレス、誰も聞いてくれない」とか言い出し、男(旦那?)に盛んにあれこれグチをこぼす。 男はおとなしく、ときどき、やさしく反論する。 「なんか、食べるものある?」と聞くと、ご飯はないけど、ソーメンならできると言うので、注文する。 LPガスが点火しない。 男は女に叱られるまま、ボンベを点検し、不器用にソーメンを作り始める。 やっと、ソーメンが茹で上がり、醤油にシソの葉を浮かべただけのツユ。 ソーメンが未だ温かい。 400円!
ここで時間を浪費しちゃまずいと、そそくさと勘定を払って小田町へ向かう。 小田町のふじや旅館に着き、突合の出来事を話すと、女将さん曰く、「あそこで、予約の客をとられることがあるんよ・・・、男がいたの?」。 そういえば、突合の女、「ここ、キャンセル街道と言われてるんよ」とか言ってたなー。

みぎひだり 行程表を 突合せ

8月15日
今日は終戦記念日。 谷間の県道を久万(くま)町へ向かう。 梨と桃の畑が多く、ちょうど収穫の時期。 お接待に、ソフトボールみたいなでっかい梨をいただく。 「ナイフは無いし、どうして食おうか?」、「そや、人類の祖先に戻れ」、「あれや、あの石にたたきつけてやろ」、・・・、グシャッ!。 県道は次第に細くなり、いたるところ湧き水があり、頭を冷やすことができた。 露峰という部落で正午を迎える。 広報スピーカーが正午の時報から1分間の黙祷をするよう伝えている。 短いサイレンとともに黙祷する。

山々に 黙祷の時報 こだまする

やがて、松山と高知を結ぶ国道33号に出る。 いきなり交通量が多くなった。 車がいっぱい駐車しており、ポリタンクをもって水汲みの順番を待っている。

湧き水に 「神」を名づける 人の知恵

空が急に暗くなってきた。 杉の木が強い風に煽(あお)られている。 「来るよ、ゴロゴロちゃん」。 半ば走るように急ぐ。 しかし、久万町の入り口で雷雲が頭上を支配した。 ずぶ濡れになり、風が体温を奪い、寒い! 稲妻が暗雲を照らす。 偶然、身一つ寄せるほどの小さい祠(ほこら)があり、狭い空間にうずくまる。 祠の中は乾いた匂いがした。 稲妻と大音響が繰り返され、祠の前のアスファルト道路は濁流で覆われた。 

ありがたや 命を預けた この祠(ほこら)

空が明るさを取り戻すと同時に、風が次第に暖かくなった。 久万町の民宿「一里木」に着くと、女将さんが、「カズがねー、雷で震えるんよ。 お父さんに抱かれて震えるんよ」と言う。 カズは12才の柴犬。 一里木は、整理整頓、清潔が行き届いたナイスな民宿。 我が家と違って、きっと全員A型に違いない。 川崎から来たご同輩と大学生が同宿。 川崎のご同輩は、歩きと交通手段をミックスして回っている。

8月16日
 44番を打ち、遍路道を登って県道12号に出る。 県道を経由して45番を打つ。 45番(岩屋寺)の周辺は異様な形をした岩山の地形。 本堂の裏は行場になっており、洞がいくつも散在している。 この行場を登って遍路道を行く。 峠を越えて八丁坂を下っていると、ペタペタと変な外人が上がってくる。 日本語が通じないので、拙い英語で聞いてみると、熊本で英語を教えているとか。 国籍はイギリス。 「黒いヘビがいた」というので、「あれは、強い毒をもっているよ」と注意すると、目をまん丸にして、「日本に毒蛇は居ないと思っていた」という。 彼(クリフ君)は素足にゴムのサンダル、あきれたヤツだ。 「その足で踏めば、かまれるよ」と言うと、「死ぬか?」、「何日で死ぬか?」と真顔で聞いてくる。

まむし注意! 英語の訳も つけましょう

昨日の祠まで遠回りし、雷避難のお礼参りをして、一里木に戻り連泊する。 同宿の大阪のご同輩、「道を間違えた上に、ひわた峠で疲れ果て、もうクタクタや」と嘆く。 今日のぼくの行程を聞き、やはり荷を軽くして44番と45番を打って、連泊するとのこと。

8月17日
 一里木を出ようとすると、大阪のご同輩が前を逆方向に横切る。 「一里木を出たとき方向を間違え、引き換えしたが、杖をあっちに忘れた・・・」。 一里木の前を2往復したことになる。 本当におもろいオッサンでした(失礼!)。 久万町から松山市の46番浄瑠璃寺までは、下るだけの遍路道。 この逆打ちは地獄かも。 46番を打って今回の区切りをつけ、タクシーで松山市中心部のビジネスホテルへ。

8月18日
岡山から新幹線で大阪へ行き、妹を見舞う。

8月19日
 新幹線で帰京。

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宇和湾、真珠養殖が盛ん。

 

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柏峠から由良半島の眺望

 

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熊出没! これ、ヒグマだけど?

 

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築100年の旅館

 

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和霊神社。日本で最大の石の鳥居。奥に本殿。

 

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和霊神社の本殿

 

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明治時代の通り

 

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おはなはん通り

 

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臥龍山荘の土塀

 

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肘川

 

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内子座

 

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内子の町並み

 

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内子の町並み

 

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雷から避難した祠

 

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雷におびえたカズ君と一里木の若女将

 

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岩屋寺への道。赤松が多い

 

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岩屋寺の本堂

 

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クリフ君の勇姿。素足にゴム草履。

 

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まむし注意!

 

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網の模様が付いた大きな石。 この石が道をふさいでいたので、弘法太師が網をかけて移動したという。