USA, UK, Ireland 紀行 (2004年11月)

定年直前の海外出張ということで、今回はアメリカ合衆国とイングランドの高等学校の情報・コンピューター教育を調査する目的で自由なジャーニーを楽しんできました。 調査の合間に歩いた印象を写真で綴ってみました。

11月9日
快晴。 昨晩、シカゴ経由で NEWARK 空港に到着し、Rimoで Princeton University の近くのホテルへ直行。 このあたりは、全米で、いちにを争う不動産価格の高いところ。 大学や研究所や伝統のある企業が散在しているせいか、高等学校の教育レベルが高く、全米の教育ママが価格を吊り上げているらしい。 プリンストン大学もアメリカの有名校と同様に全寮制で、K教授によれば入学生の数は寮のキャパシティーによって決まるので、その調整に失敗して寮を増築するハメになった年もあったとか。 アインシュタインやフォン・ノイマンやゲーデルやジョン・ナッシュが居た大学だが、彼らの銅像や記念碑のようなものは一切見当たらない。 アインシュタインはそれを望まなかった。

天才が 残した宿題 だれがやる

キャンパスのもっとも古い建物は美術館になっていて入場無料。 日本や中国の美術品が手に触れるほど無造作に陳列されていた。 ぼくは美術の知識がないので、「ハァー、なんだかすごいなー」としか言いようがなく、もったいない! (my short talk)

11月10日
快晴、しかし寒風。 ラッシュアワーをはずして、電車でニューヨークへ向かう。 2両編成の年季の入ったディーゼルカーで Princeton Junction まで行き、急行に乗りかえる。 午前10時、マンハッタンのド真ん中のペン駅に着き、タイムズ・スクウェアに近いホテルにチェックイン。 今日はマンハッタンをほっつき歩く予定。 ホテルから半島南端のバッテリー・パーク(自由の女神へフェリーが出ているところ)まで約8キロ。 往復で16キロぐらい歩いた。 距離は短いが、普通の革靴で、軽装スタイルだったので、足先が痛くなり、寒風で身は凍え、耳がちぎれそうになった。 昼間は危険ではないが、あちこちに仕事のない国籍不明の人々がたむろしており、街はゴミが散らかり薄汚れていた。 Ground Zero に立ち、「すごいことが、起きたんだなー!」と、改めて宇宙から地球を眺めているような感覚に陥った。 新しいタワーのイメージ図が掲示されていたが、「タワーを建て直したって、幾世紀もかけてそれを狙う人間がこの地球のあちこちにウジャウジャ潜んでるんだー!」と、修復不可能な地球の運命を感じていた。

やめようよ 丸い地球じゃ 逃げ場なし

黒人が淡々と Amazing Grace をフルートで吹いていた。 ここからバッテリー・パークまでは近い。 フェリーで自由の女神まで行く予定だったが、小学生の団体が長い列を作っていたので、あきらめた。 ここでも、黒人が一人、身を前後に揺らせながら Amazing Grace を歌っていた。 彼にとってこれが天職であるかのように! 夜は、再びプリンストン大学のK教授のお誘いでシャブシャブをご馳走になった。

11月11日
快晴、寒風。 ペン駅からAMTRAKでボストンへ。 ペン駅のホームは地下にあり、エスカレータ乗り場でチケットを確認される。 横で乗客数をカウントしている駅員もいる。 チケットはクレジットカードでしか買えない。 何重にもセキュリティーをかけている。 ボストン駅はビューティフル! 伝統的で、瀟洒(しょうしゃ)で、清潔。 街並みも、1ブロックが狭くて、いい雰囲気が漂っている。 ここには、ハーバード大学やマサチューセッツ工科大学がある。

11月12日
曇りのち雪、気温零下。 MIT出身のS氏と会い、高校教育に関して情報交換する。 午後、雪になったので、少し散歩してローガン空港へ。 夜7時発ロンドン行きに搭乗。

この国の 歴史を開いた 寒い街


プリンストン大学のもっとも古い建物。ツタは卒業記念の植樹。


エンパイアーステートビル(マンハッタンの南端へ向かう途中から)


Ground Zero の十字架(拡大画面を開くと Amazing Grace が流れます)


自由の女神(バッテリーパークから)


摩天楼(ボストンへ向かうAMTRAKの車窓から)


ボストン コモン(アメリカ最古の公園)

11月13日(土曜)
快晴。 6時間のフライトで、午前6時半にヒースロー空港に到着。 ボストンの夜中の1時に朝がやってきたことになる。 緯度が高いと、”時間÷距離”が大きい。 これは老体にはこたえる。 空港から地下鉄でダウンタウンのド真ん中、チャーリング・クロス (Charing Cross)駅へ。
改札を出て地上に上がると、残酷なまでにまぶしい朝! トラファルガー・スクウェア(TrafalgarSquare) の高い塔や大きなライオンの銅像が目に飛び込んできた。 The United Kingdom of Great Britain が朝日を浴びて、おいらを迎えてくれた。 日本の近代化が始まった明治、国費留学生の漱石はこの広場をどんな気持ちで眺めていたんだろう? バートランド・ラッセルはどんな顔をして反戦の演説をしていたんだろう?
まずホテルに荷物を預けようとしたが、もうチェックイン可能というので、小休止してダウンタウンへ。 コベント・ガーデン(Covent Garden)周辺の繁華街をブラブラと散歩した。 天然石の石畳や古い堅固な建物がこの国の中世の栄華を物語っている。 直角に交わらない交差点、曲がったストリート、小さなブロック、小さな広場、ストリート・ミュージシャン、・・・・、こういう古い街は心を癒してくれる。 ここでも、ギターのストリート・ミュージシャンが Amazing Grace を演奏していた。 Amazing Grace の原曲は不明だが、アイルランドあるいはスコットランドの民謡だったのではないかと言われている。 ネットで調査してみたが、どのサイトも原曲探しは成功していない。 そもそも5音階/オクターブの (pentatonic)曲はかなり昔に遡るという。 ロンドンで一番大きな本屋に入る。 書架の間に椅子が用意されていて、立ち読みならぬ座り読みができる。 また、大きなカウンターに専門の相談員がおり、座ってゆっくり質問を受けてくれる。

下町で 国の匂いを 嗅ぎまわる

夕方、小さな清潔なレストランを探し、入ってみる。 どこか異国情緒があるので、ウェイターに聞くと、トルコ・レストランだった。 2千円弱でおいしいディナーが楽しめた。

11月14日(日曜
快晴。 久しぶりに9時間も熟睡して疲労回復。 朝食をとろうとホテルのロビーへ出ると、老人であふれていた。 大半が男性で、胸に勲章をいっぱいつけている。 退役軍人らしい。 地図を片手に、ホテルを出発。 テムズ川に沿った遊歩道を下り、セント・ポール大聖堂を経てロンドン塔へ。
ロンドン塔はすでに観光客であふれていた。 タワーブリッジを渡り、対岸の街中を歩く。 対岸には、二つの大きな鉄道の終着駅があり、古い駅舎は往時の繁栄を思わせる。 ストリートに沿って古い小さなビルが続き、少し閑散としている。 やがて、大きな観覧車が見え、ビッグベンへの橋を渡る。 橋から先は、歩行者天国で、ものすごい人の波。 胸に赤い花の飾りをつけた人が多い。 今日は戦没者追悼の記念日らしい。 ビッグベンの前にたどり着くと、中世の軍隊衣装を着た隊列が、マーチを演奏しながら、次々と行進してくる。 このあたりは、大英帝国の政治家の大きな銅像がいくつも立っている。 チャーチルの銅像が一番いばっているように見えた。 人ごみを避け、裏道を通ってエディンバラ宮殿、そしてトラファルガー・スクウェアへ戻った。
道草をしたり、レストランを物色したりのゆったりウォーキングは約12キロ、5時間。 夜のテレビで、今日の追悼式のビデオを延々と流していた。 部隊別、地域別に退役軍人の協会がいっぱいあって、それらの追悼行進が、厳粛に延々と続いていた。 没落貴族の大げさな儀式に、ただただ感服! どこかの国も、この国から多くを学んできた。

厳粛は 一線越えれば ただ喜劇

11月15日
快晴。 Kings College of London、Media Science Center を訪問。 大きな敷地を誇る大学と異なり、ダウンタウンの真ん中に普通のオフィースビルを借りている。 コンピューター・サイエンスは、大掛かりな実験研究は不要なので、このようなスタイルの方がいいのかもしれない。 ビルの中はアカデミックな活気であふれていたし、年々、学生数が増えているとのこと。 ここで、short talk をして、ガトウィック空港からカソリックの国、ケルトの国、アイルランドへ。 ダブリン空港のホテルで一泊。


テムズ川


セントポール大聖堂


ロンドン塔


タワーブリッジ


ウォータルー駅


ビッグベン


騎兵隊の行進


エディンバラ宮殿


トラファルガー広場


大道芸人の一服

11月16日    visited points
晴れのち小雨。 空港でレンタカーを借り、一路国道N6を西へ。 ダブリンの環状高速道路の外側はもう田舎。 黒っぽい石積みの垣根で囲まれた牧場が延々と続く。 この垣根に沿って歩けば、アイルランドを一周できるらしい。 この島には高い山はなく、どこまでもウネリが続く。 西に行くにしたがって、土地は泥炭層になり、痩せていく。 とうとう、西海岸の Galway まで、牧場ばかりで、野菜や穀物の畑を発見できなかった。 この国で大量に消費されているジャガイモの畑はいったいどこ? この国の歴史を左右したジャガイモはどこ? もしかしたら、羊がウジャウジャいたあの牧場が、収穫が終わったジャガイモ畑なのかもしれない。 途中、国道沿いのサービスエリアでランチ。 男たちが食べている定番のフィッシュ&チップスを一目見て、「あれは、やめとこう!」と決意。 あのポテトの量はハンパじゃない。 Galway の B&B (Bed and Breakfast) にチェックインして、小雨の中、ダウンタウンへ。 小じんまりした、いい雰囲気の街。

されどイモ 国をつぶすも やつ次第

11月17日
終日の雨。 雨の荒涼としたコネマラ (Connemara)国立公園をドライブ。 樹木の無い石ころの丘と赤茶色の草原と湖沼郡の中を、たらたらと車を走らせた。 コネマラの北側の Westport という小さな町でランチ。 魅惑的な笑顔を浮かべたウェートレスが持ってきたサーモン・ステーキは美味かった。 帰りはジョンウェイン主演の「静かなる男」のロケ地で有名な Cong を経由。 あの映画は、安っぽいハリウッド映画。 アイルランドのイメージからほど遠い。 Cong で買った4コマ漫画のTシャツには、

      春の羊は雨の中
      夏の羊も雨の中
      秋の羊も雨の中
      冬の羊は雪の中でツノと目だけ

そう、これがアイルランド! Galway のダウンタウンで家庭料理のレストランに入る。 可愛いウェートレスが日本人のぼくを興味津々といった表情で見ている。 少し話をしてみた。 舌の真ん中にキラッとピアスが光った。

雨の国 妖精の国 イモの国

あちこちのバーに、「7時より、大型TVでアイルランドvsクロアチア放映」の張り紙があり、年配向けのバーを選んで入ってみた。 カウンターに座りギネスを注文。 下戸のぼくにとって、これ一杯飲むのがやっと。 ゆっくりと注いだ後、なかなかこちらにくれない。 泡が消えたころ、今度はもっとゆっくりと、ぎりぎりまで注いでぼくの前にグラスをそっと滑らした。 こんなに目一杯注いでくれなくても・・・!  友人から聞いた逸話、

    ビールの泡にハエが入った・・・・・。 イングランド人は、泡と一緒にハエを吹き飛ばして飲む。 スコットランド人は、ハエをつまんでちょっと振り、ビールのしずくをグラスに戻して飲む。 アイルランド人は、ハエを絞って、ビールのしずくを100%グラスに戻して飲む。

いよいよ、サッカーの生中継が始まった。 1対0でアイルランドが辛勝。 後ろの席のオッサンといきなり握手してしまった。 このオッサン、2002年のワールドカップのとき千葉県に来たという。 千葉県はアイルランドのホスト県だった。 あのとき、JR津田沼駅でたむろしていた緑色のサポーターの中に居たのかもしれない。

サポーター 気持ちはいつも オフサイド

11月18日
昨日よりも強い雨と風。 海岸沿いを南西方向に、モハーの断崖 (Cliffs of Moher) を目指す。 海を右に見て走れば自動的に断崖へ行けると、軽く考えて出発。 が、途中から海が左に見えてきた。 小さな半島を時計回りにぐるぐる回っていたらしい。 おかげで、アイルランドの田舎を十二分に堪能した。 いよいよ、モハーの断崖への細い海岸道路に入った。 対向車もなく、風雨の中、走るのはおいら独り。 ドゥーラン (Doolin) という小さな集落に寄ってみる。 ここから、アラン諸島への船が出ているが、小さなプレハブの切符売り場は欠航のため閉められていた。 モハーの駐車場には10台ぐらいの乗用車と観光バスが2台。 みんな、ビジターズセンターで雨宿り。 ずぶぬれになっている青年に、「なにか見えた?」と聞くと、「雨が弱まったとき断崖が見えたよ。すごい風景だった」というので、まずはコーヒーを一杯飲んでから写真を撮りに行くことにした。 雨まじりの強風の中に息を呑むような光景があった。 運良く、雨は背後から吹きつけていて、レンズを濡らすことなくシャッターを切れた。 フラットなこの小っぽけな島国が200メートルを越す断崖となって、大西洋に落ち込んでいた。

どうせなら ずーっと先で 落ちてくれ

アイルランド全島をネットで覆ったような石垣の中をエニス (Ennis) へ。 街の雰囲気は Galway と似ている。 観光向けにアイリッシュダンスをやってる施設はエニスの郊外にあったが、面倒なのであきらめた。

11月19日
曇りのち晴れ。 エニスからリマリック経由でダブリンへ直行。 リマリックにはシャノン(Shannon)川が流れている。 現在の I T 技術の基礎理論を作り上げた人物は Claude Elwood Shannon という。 彼の先祖はこの地域の出身だろうか? ダブリン市内に入ったが、自分の位置が分からない。 おまけに、レンタカーの Hertz 営業所の地図が不鮮明で読めない。 とりあえずダウンタウンと思われる場所まで行き、カフェに入りご同輩に道を尋ねた。 アイルランド人はみんな親切で素朴。 レンタカーを返し、ホテルにチェックイン。 ホテルは目抜き通り (Grafton Street) のすぐ近く。 アイルランドではアイリシュ・ダンスを是非見たかったが、そのメッカであるエニスでは見ることが出来なかった。 ダブリンでダンスを見せてくれるバーを訪ねると、9時ごろになれば Arlington Hotel のバーで必ず見れるというので、その周辺で時間をつぶす。 Grafton Street では二人の日本人ストリート・ミュージシャンが唄を歌っていた。 9時半ごろ、例のバーに入る。 中はかなり広く、陽気なアメリカ人観光客でごった返している。 GalwayのB&Bでも、宿泊帳に記載された客のほとんどがアメリカ人だったが、アメリカ人の多くはアイルランドに故郷を感じるのだろうか? 本屋の店頭には、ベストセラーのクリントン元大統領の伝記が山積みされていた。 アイルランド出身のアメリカ大統領としては、Kennedy, Reagan Clinton が良く知られている。 アメリカはボストン茶会事件をきっかけにイギリスから独立を勝ち取り、アイルランドも長いイギリス統治から20世紀になって独立を勝ち取った。 イギリスから見れば石ころのようなこの国には、なにか奥深い強みがあるような気がする。 10時半、まだダンスは始まらない。 陽気なアメリカ人たちが舞台に上がりこんで、卑猥なダンスを始めた。 11時を過ぎても始まらない。 あきらめて、ホテルに帰った。

本日は 客種悪しと ライブなし

11月20日
ヒースロー経由で成田へ。 機内で、イングランドのキツネ狩りの中止を伝えるニュースを読む。 キツネ一匹を20匹もの犬で追い詰める貴族のゲーム。 


典型的な農家(わらぶき屋根の葺き替えをしている。拡大画面にするとアイルランド民謡 Oh Danny Boy が流れます)


道路標識(英語とゲール語で書かれている)


石垣の牧場(国道沿いは、延々とこの風景)


Galway市の河口の家並み(左手がダウンタウン、右手はゴールウェイ湾、拡大画面で「庭の千草」が流れます)


コネマラの風景(なにしろ、羊が多い)


コネマラの段々牧場(小さな湖沼が多い)


Congの古城(コネマラの荒涼とした風景の中で、Cong周辺は樹木が多く、ここを訪れる観光客は多い)


農家(このような建物が非常に多い)


ドゥーランのフェリー発着場(車から撮影。ここから、アラン諸島へ船が出る)


モハーの断崖(高さ200メートルを越す。拡大画像は圧縮していないので、デスクトップの背景にどうぞ!)


モハーからの帰途(断崖の上はフラット。やはり石垣の牧場が続く)


聖メアリー大聖堂。リムリック最古の建物。リムリックはフランク・マコートの自伝小説「アンジェラの灰」が生まれた町。雨と貧困の絶望的な少年時代。


国道 N7(ダブリンへ)


グラフトン・ストリート(ダブリンの繁華街)