8月17日 夕方、東京から岡山経由で高松へ、ビジネスホテル泊。 ぼくの身体から、連日のあわただしい仕事のリズムが消えない。 100%の隠居生活もつまらないが、抜き差しならない役目にずるずるハマるのは肉体的にもきつい。 ホテルに着いて、大変な忘れ物に気がついた。 10年以上も続けている睡眠薬がない。 「横になった瞬間に鼾をかけば、どんなに健康な日々を送れるだろうか? あー、ロボットのようにスイッチONで眠りたい!」 という願望が心を支配し、不眠症になってしまった。 その願望を満たしてくれたのが睡眠薬だった。 でも、「弘法大師が用意した最後の修行かもしれない」と考えれば、少し気が楽になるように思えた。 眠りが浅く、2時間おきに目が覚める。 これを3回ほど繰り返して夜が明けた。
夜明けまで ねんねんころり 翁ころり
8月18日 曇りときどき晴れ。 昨年は、夏と秋に四国へ来た。 昨年の打ち切りは、屋島の肩にかかった白く淡い夕月が祝ってくれた。 琴電で、昨年のゴール、屋島駅へ行く。 18日は雨の可能性があるとの予報だったので、初日は無理をせず、二つ先の86番志度寺(しどじ)まで、ゆっくりと散歩しようと考えていた。 テレテレと歩き始める。 85番(八栗寺)は、屋島寺と同様に綺麗に舗装された坂を上る。 屋島寺で廃止されていたケーブルカーは、ここでは営業している。 この坂はキツイとWebで読んでいたが、屋島寺より距離が短く、あっけなく着いてしまった。 散歩の予定を変更して、もう一つ先の87番(長尾寺)の宿を予約する。 志度寺の縁起によれば、創建は推古天皇の時代とある。境内に「海女の墓」がある。 その伝承は、唐に嫁いだ藤原不比等(ふひと)の妹からの供物が志度沖で沈み、それを探すために不比等が志度にきて海女と恋に落ち、子が生まれた。 海女は海の底から供物を探し出して、命を落とす。 子の名前は藤原家を再興した房前(ふささき)! 房前は不比等の正妻の子では? この伝承、ほんまかいな?
没落の 血に注がれし 海女の潮
志度で見逃せない人物は平賀源内。 江戸中期の蘭学者というが、動植物学、医学、油絵、儒学、漢学、人形浄瑠璃など、・・・、まさに「乱学」したようで、物産博覧会を開催するに至る。 鎖国時代にこれだけの仕事をしたなんて偉い! 油絵を通じて遠近法が輸入され、源内も模写していたらしい。 遠近法は、源内の死と入れ替わりに生まれた歌川広重の大胆な構図になり、これが近代の西洋画に影響を与えたというわけかぁー?!
おもしろき 江戸の文化は 鎖国から
志度から長尾寺まで、後になり先になって、二人の若い「通し」の女性。 漠然と思うのだが、真言密教は女性にとってこそ魅力ある教えではないか? 長尾寺の宿では、更に若い「通し」が2名加わって、ぼく一人が高齢者で浮いてしまった。 こんなことは珍しい。
8月19日 曇ったり晴れたり雨がパラパラ。 昨晩は、志度で買った誘眠剤のおかげで、少し眠ることができた。 今日の行程はJR徳島線の学(がく)駅まで35キロ余り。 宿のオバサンが、「高野山へ行くなら、大窪寺からコミュニティーバスで志度ICまで引き返し、そこから高速バスで大阪の難波まで行くのが速い。一日、40便もあるから」 と教えてくれた。
シーオーツー どれだけ吐けば 気が済むの
しかし、今日の行程は相当長い、少し心がゆらいでいる。 88番(大窪寺)へは、若い連中は険しい女体山を登る遍路道を行ったらしい。 ぼくは、国指定重要文化財の細川家住宅を見たいので、前山ダムから旧遍路道(花折峠)を経由する。 11時半結願。 一瞬、胸からこみ上げるものがあった。 10年かけて、やっと区切り打ちが終了した。 しかし、考えてみれば、10年もかける「願」なんて、滅多にないよなー! その年、その年、病気の親戚・友人やペットの回復を願ったこともあったなー。 叶えられなかったけど。「禁煙!」、この「願」は筋違いだけど、一回だけやっちゃった気がする。お願いして、安心して、一服やっちゃた気がする。 それにしても、「結願」ってなんやろ? 「よくやった、叶うも叶わぬも、願う心が尊い!それを忘れるな!」ということ? 「もう十分に願う儀式をやったね!願うことは、もうやめなさい!」ということ? あ〜〜あかん、あかん、パラドックスに陥りそう。
寺の隅 落第男の 影薄し
ここで、同宿の3人の若者と会う。 彼らは、大阪行きの高速バスを選らんだという。 しかも、難波から南海電車で今日中に高野山へ着くという。 「へぇ〜〜、そんなに高速なの? どこに泊まるの?」 「ユースホステルを予約したの?」 ユースホステルかー、高齢者はお呼びじゃない。 やっぱり、徳島から海を渡って四国の山々にバイバイしたい。 大窪寺からは、ゆるい下り。 もう、歩き遍路は終わったから、親切な車が乗っけてくれないかなー? と期待半分で歩いていたが、「歩き遍路」に声をかける無粋な人間は四国に居ないようだ。 トンネルを越えたところで右折し、あとは吉野川へ一本道。 しかし、これが長かった。 途中、木立の中へ行き、用を足す。 尿の色を見て驚愕した。 こういうときの尿の色は、ほうじ茶を煎じたような濃い茶色だが、まるで赤ワインのような色! 「こりゃまずい、なにか異変かも?」、不安がぼくの足取りを遅くする。 「なんだろう? 内蔵の病気で入院したことはないしなー。 でも、なにが起きてもおかしくない高齢者だもんなー」 「まてよ、ビタミン剤を飲んだとき黄色いオシッコが出る」 「赤いものを飲んだ? んっ!あれかなー? 自動販売機のマンゴジュース!」 中身を見ないで一気に飲んだ。 でもラベルのマンゴは赤かった。 そうこうしていると、またオシッコがしたくなった。 今度は赤黒い液体! 「うわぁ〜〜!」 ぼくの足取りは急ブレーキがかかったように凍り付いてしまった。 そろそろと背中を丸めて歩くが、自覚症状は何もない。 ようやく、徳島平野に出て高速道路の下にたどりついた。 携帯のGPSナビで、JR学駅までの距離を見ると、直線距離で7.4キロもある。 急ぐことはない、高速道路の橋の下で、ゆっくり休むことにした。 傾いた日差しが刈り入れ前の稲穂を照らしている。 吉野川のむこうの山並みが煙って見える。 カタ、カタと高速で走る車の音がする。 6時半、やっと学駅に到着。 大窪寺から6時間もかかった。 徳島駅の観光案内所で駅前の観光ホテルを予約して転がり込む。 空腹だが、外にでる元気はじぇ〜んじぇんなし。
足も手も シーツに張り付き 動かねぇー
8月20日 晴れ。 8時15分発の和歌山行きフェリーに乗る。 10年前(ひと昔前)、阿波踊りの最終日とも知らず、お試し歩きをしてみようと徳島空港に降り立った。 これがぼくの歩き遍路の始まりだった。阿波踊り期間のホテルは一年前から予約でいっぱいだが、お大師さまの導きで駅前のホテルにキャンセルが出た。 そして、思い切り汗をかき、ぼくの体液を入れ替える夏遍路は毎年の楽しみとなってしまった。 ぼくの遍路のキーワードは「衝動」、「無計画」、「結果オーライ」の3つ。 10年後も、やっぱりこの3つで終わってしまった。 フェリーがゆっくりと四国を離れる。 結願のときに出なかった涙が、今になって溢れてきた。
感動も 汗の量なり 夏遍路
10時、和歌山港着。 JR和歌山駅までタクシーで行き、今日の予定を考え始めた。 明日の予定は高野山の23キロの町石道を登ることだったが、例の赤ワインショックで断念した。 タクシーの運転手に和歌山の見所は二つ、紀三井寺と和歌山城と聞いたので、紀三井寺へ行くことにした。 和歌山から電車で3つ目の紀三井寺駅で下車。 駅の周りは住宅はあるものの、一軒の商店も無い。 紀三井寺はすぐそこに見えている。 ここで、高野山の宿坊組合へ電話して、今日の宿泊を予約することにした。 電話の応対は非常に親切で、「団体客が多いけど探してみますから、15分後に返事を返します」というので、電話を待った。 運よく、宿坊の個室部屋を予約することができたが、「宿坊には5時までに入ることになっているので、4時までに来ていただいて手続きをしてほしい」という。 「今、和歌山市に居ますが、これからすぐに伺います」と返事をして、紀三井寺駅から引き返した。 宿坊組合に着いたのは3時半! 宿坊は成福院(じょうふくいん)、瀟洒な寺である。 若い修行僧が案内をしてくれた。 一息ついて近所を散策してみたが、欧米人が多い。 ぼくは、高野山のケーブルカーで初めて世界遺産になっていることを聞いた。 テントの接待所で、お茶と菓子をいただいていたら、前に座っている欧米人の老夫婦が 「英語を話せるか?」と聞いてきた。 「ええ、少し」と答えると、 「これは、寄付をする必要があるの?」と聞く。 「そんな必要はありません」と言うと、不思議そうだったが、 「ボランティアです。よくある日本の風習です」と説明したら、 「すばらしい!」と、素朴な笑顔! 彼らはイスラエル人だった。
聖地にて 古き心の 通い会い
8月21日 ときどき雨。 6時起床、6時半のお勤めに参加。 7時半朝食。 8時に宿を出る。 金剛峰寺の納経所で納経帳を閉じたまま差し出すと、2ページ目を開き”書き入れ・朱印”し、「最初のページは奥の院でお願いします。ご苦労さまでした」と声をかけてくれた。 実は、1番(霊山寺)で買った納経帳には、88番の次のページに、「一番始めに参拝した寺へお礼参り、あなうれし行くも帰るもとどまるも、我は大師と二人づれ」 と書かれており、これだと無条件に霊山寺が結願のお礼参りの寺になり、しかも永遠にループを回ることになって、高野山が入る余地がない。 やはり、一番へ行ってループを閉じるのはおかしいと思っていた。 小雨の中、奥の院への杉並木をゆっくりと歩く。 日本の歴史を動かした人達や企業人の墓が並んでいる。 入定した御僧の前で、こんな墓の集団は見苦しい。小さな苔むした納骨堂が御廟の奥に隠れていた。
きりはよし 実ちれば行かん わしは寝る
|
写真をクリックすると大きな画面が見れます。
85番(八栗寺)の観音様
八栗寺から屋島を眺める
八栗寺から下りる参道で、かわいい子供のテン(?)。大きなミミズを食べていた。
平賀源内旧宅
平賀源内の記事
86番(志度寺)、海女の墓
奪衣婆(だつえば)堂。奪衣婆は三途の川で死者から衣服をはぎとる老婆。江戸時代、この老婆の霊験に対する信仰が広がった。
細川家住宅。国指定重要文化財
大窪寺の門(太子堂側の門)が見えてきた。
結願して、満願定食を食べる
フェリーから徳島を望む。島が遠ざかり、視界は空と海になった。
高野山で宿泊した成福院
成福院の精進料理
御影(みえ)堂
金剛峰寺
朝の供養を終えて帰る僧の列(奥の院は撮影禁止)
|