東京は雨の多い寒い夏。 パリは熱中症で死者が続出。 そんな異常気象のなか、南国土佐へ。
8月20日 正午過ぎ、高知空港に降り立つ。 若いビジネスマンの二人ずれ、「ひさしぶりに太陽を見たような気がするー」。 同感!
ここはぎらぎらのトロピカル! 去年のゴール、34番(種間寺)の近く、仁淀(によど)川の手前でバスを降りる。 ここから35番へ。 橋の上で、夏全開の仁淀川の風景に魅入ってしまう。 蛇行する流れ、白い砂州、緑の堤防、青い空、石鎚(いしづち)へ続く山々!
わー夏だ 遍路はるばる 陽(ひ)はさんさん
土佐市の街を抜け、高速道路のガード下で、短パンに履き替え、マメ対策をする。 指一本一本にバンドエードを巻きつけ、土踏まずの先を包帯でぐるぐる巻いてテーピングで固定。 これを怠ると、後で泣くことになる。 35番は山の中腹、この町のどこからも見える。 登攀はさほど厳しくないが、午後の強い日射が、未だ夏を知らない肌に食い込んでくる。 汗が噴出し、水を飲む。 いよいよ体内の液体交換が始まった。 体液総入れ替えはぼくの夏の行事になってしまった。 35番の納経を済ませ、宇佐(うさ)へ向かう。 塚地(つかじ)峠の手前に休憩所があり、トオシ(一気に八十八箇所をまわることを通し打ちという。 ぼくのように適当に区切って打つことを区切り打ちという。 阿波、土佐、伊予、讃岐を一つずつ打つことを一国打ちという
)が、洗濯物を広げてテントで休んでいた。 宇佐への峠越えはきつくないが、もう夕方なのでトンネルを行くことにした。 新しくできた長いトンネルで、歩道が広く歩きやすいが、換気装置がなく交通量が多い。 轟音+排気ガス、おまけに、自転車が広い歩道をすっ飛んでくる。 あれは歩道ではなく、自転車道だったのか? 宇佐の民宿に着いたのは7時、元気なおかみさんが迎えてくれた。 「明日の朝食は何時にしますか?」というので、寝不足を解消したかったので、「7時過ぎでいいです」と答えたら、「お遍路さんがそんなに遅くていいの?、6時にしなさい。 荷物をここにおいて、7時(札所の納経開始時間)に青龍寺(36番)を済ませて、引き返してきなさい」という。 すなおにしたがうことにした。 すなおになった理由は、一抹の不安もあったから。
区切り打ち いつまでたっても 劣等生
8月21日 快晴。 6時に朝食。 他にトオシが二人。 一人は、ぼくと同じ年ぐらいの定年退職した男性、そしてもう一人は30才前後の女性。 彼らは、前日に36番を終わっている。 宇佐は、陸地と平行に長く延びた横波三里と呼ばれる細長〜〜い半島が口を閉じる場所にある。 陸地から半島の先端へは200メートルぐらいの宇佐大橋を渡る。 橋の下は、アサリを採る小船がいっぱい。 物干し竿の3倍ぐらいの長〜い道具でアサリを掻き揚げている。 36番を往復すると3キロのロスになるので、半島の太平洋側のドライブウェイを行く計画だった。 しかし、予めネットで調査した結果、この道を行った遍路はほとんどいない。 理由は、アップダウンがきつく、見晴らしも良くないという理由らしい。 この不安があったので、民宿のおかみさんに、すなおにしたがったというわけ。 36番の前に蟹(カニ)が池という小さな湿地があり、ベッコウトンボが棲息していたが、絶滅したとある。 参道に上がってきたカタツムリの赤ちゃんをみんな池の方に投げ返してあげた。 車に轢かれるか、日干しになる運命。 8時、民宿に帰る。 おかみさんの激励(プレッシャー)を受けて、浦の内湾(長〜い半島と陸地にはさまれた長〜い湾)沿いの県道へ出発。 遍路の地図で見ると、この湾を抜けるのは簡単そうだが、湾底までの県道はクルクル曲がりくねり、引き伸ばせば15.5キロもある。 ここでフラクタル地獄にハマることになった。 フラクタルというのは、ある図形の任意の一部をズームアップすると同じような図形が現われ、さらにその一部をズームアップするとまた同じような図形が現われ、・・・・・・、そして無限地獄という数学的構造を指す。 対岸との距離はわずかだが、幾重にも折り重なる小さな岬が、対岸なのか、我が道なのか分からなくなってくる。 岬を回ると、対岸だと思っていた岬は、深く切れ込んだ入り江をぐる〜っと回る我が道。 そして逃げ場のない日射の県道。 数学的不可避地獄を自ら体験することになった。 もう、これ以上風景を見ると神経がやられる。 足元の小魚を見ながら歩くことにした。 チーズを細かくちぎって投げてやると、魚が集まり、つつき合う。 大きなボラが群れをなして泳いでいる。 底をじーっと見ると、亀が3匹。 「ヘッ、カメーぇ? もしかして、海にいるからウミガメ・・・・の赤ちゃん? ア、ア、アンビリーバボー!」 感動できない不思議な感動。 どっかのペットショップから逃げたやつでは? 都会の頭の中に都会の疑問符が貼り付いてる。 カニじゃなかったよなぁ・・・カメだったよなぁ・・・。 真の湾底に到達したときには、日射とフラクタル地獄で神経回路がずたずたになっていた。
岸づたい 回れ回れの 我が人生
半島のドライブウェイと合流しるところで、前夜、塚地でテントを張っていた「通し」の兄ちゃんと会う。 「どうでした?」と聞くと、手を上下に振って「これだもん」。 そして左右に振って「これだもん」。 あっちは上下左右のフラクタルかー。 そして、「ドライブインで止まっちゃいました」という。 「36番に居たアイスクリーム屋のおじさんに、ドライブウェイはよした方がいいと言われたけど、逆打ちやってるわけじゃないから引き返せない。けど、きつくて止まっちゃいました」という。 彼の哲学は、「引き返さない、荷を降ろさない」ということらしい。 県道は半島の根元を抜けて須崎(すさき)市へ。 いきなり、巨大な臓物のような構造物が目に飛び込んでくる。 住友大阪セメント工場である。 医者がいたら、人間のすべての臓器を対比してくれるにちがいない。 須崎港には大きなタンカーが停泊し、高知以西で最大の都市。 国道56号へ出て、須崎港をぐるっと回り、湾の対岸にいたるまで、土讃(どさん)線の駅が4つもある。 最後の土佐新荘(とさしんじょう)駅の近くに新荘川という1級河川がある。 川床の小石が清流の波紋にゆらぎ、手ですくって飲みたくなる。 この川の源流は四国カルスト。 四万十川の源流も同じ。 四万十川はカルストから長大な旅をするが、新荘川はまっすぐ太平洋に向かって流れ、流域はひなびた村が点在するだけ。
川を見る 旅と思える 遍路道
土佐新荘の先の安和(あわ)という小さな村の民宿に到着。 夕食は、前夜同宿した定年退職のご同輩と一緒。 「以前、バスで10日間の八十八箇所巡りをし、定年後の通し打ちを計画した」とのこと。 「足のマメが悪化して、歩くたびに針で突かれるように痛い。これが修行なんですねー」という。
8月22日 快晴。 ここからは、ひたすら国道56号を行くことになる。 しばらくして、国道は内陸に入り、七子(ななこ)峠へ。 標高わずか300メートルだが、コンクリートの照り返しのダラダラ登りはつらかった。 峠までは、店も自動販売機もない。 民宿でもらった凍ったペットボトルと麦茶のペットボトルが命を救ってくれた。 コンクリートにくっきりとぼくの影法師。 そうか、ゴメン! 君もずーっと一緒だったんだ・・・同行三人! 七子峠には十数軒の民家があり、ここは昔から箱根のような交通の要所。 木陰に寝転び、空を見ながらゆっくり休む。 標識があり、四万十川の源流へ1キロとある。 時間がたっぷりあるので、どうしようか迷う。 でも、この辺の1キロはちと長いような気がする。 それに、沢に下りるから、帰りの登りはつらい。 あきらめる。 ここから窪川(くぼかわ)町の37番(岩本寺)までは、ゆるい下りの長い距離。 交通量が多い。 トラックが止まっている小さな汚い食堂に入る。 レストランもあったが、ぬれたTシャツで入ると、冷房で冷たくなり体調を崩すので、扇風機の食堂がいい。 おじーちゃんとおばーちゃんがやっている。 ドライバー達は、陳列棚からおかずをとって、メシと味噌汁のランチ。 ぼくは、うどんを注文した。 おばーちゃんが500円玉をもってきて、「いま出て行ったお客さんの接待です」という。 あわてて外に出ると、4人連れの年配のグループが車に乗り込むところ。 お礼を言って接待をいただいた。 うどんが400円、100円のおつりが返ってきた。 うどんは昆布ダシ。 いつまでも、甘酸っぱい味が口に残った。
なつかしき うどんのスープの つつましさ
国道の両側は生姜(ショウガ)畑。 黄色いボンボンが立ち並んでいる。 夜、これが明々と光り、虫を追い払うらしい。 生姜を食べる虫、いや、生姜を主食にできる虫はすごい。 窪川町の手前で、空が暗くなる。 遠くでゴロゴロが始まった。 37番を目の前にして、大粒の雨と雷。 独り歩きの雷様は本当に恐い。 稲妻のなか、ずぶ濡れになってNTTのビルの玄関の走りこみ、雨宿り。 やがて、嘘のように青空が広がる。 岩本寺はコンパクトにまとまった古い寺、庶民の寺。 納経所の柴犬ヒロ君がまだ雷におびえていた。
浮かれもの! 天の一喝 万物に
窪川町は比較的大きな町。 真ん中を四万十川が流れ、そこに生活用水が流れ込む。 お世辞にも、清流とはいえない。 この川は、ここから延々と内陸をさまようが、幾百の支流を呑み込んで浄化されるのだろうか?
8月23日 快晴。 今日の道程は、ちょっとした峠を越えて、あとは太平洋へ向けて下る。 峠の登りで、うずくまっている定年退職のご同輩にまたまた遭遇。 靴をぬいで足を冷やしている。 マメの激痛が極限にきているようで気の毒。 峠を越えた市野瀬(いちのせ)という村に、「四国の道」の案内板があった。 高知県は遍路道の復元が遅れているが、代わって「四国の道」の整備が進んでいる。 「四国の道」は国道やバイパスが開通して見捨てられた旧街道を歩く道、村々をつなぐ生活の道。 案内板の地図を書き取り、「四国の道」を行くことにした。 長い谷間に沿って、国道は山腹を縫うように走り、「四国の道」は谷底の村々を行く。 自転車に乗った中学生達が「こんちわー」と挨拶する。 こっちも「おー、こんにちわー」と返す。 村々は小さなかたまりとなって点々と連なる。 強い日差しのもと、村は静まり、歩く人はいない。 ここで、ぼくは大変なことに気が付いた。 みずぅー!、そう、水がない。 窪川を出るときに買ったペットボトルには三分の一しか水がない。 書き取った地図には神社が二つ、ここなら水があるかも。 しかし、神社はいずれも廃屋。 水道の元栓は閉められていた。 ペットボトルには最後の一滴。 唇は乾き、目はうつろ。 やがて、国道に接近する箇所に来た。 国道の自動販売機に賭けることにした。 2キロぐらい歩いたところで天然の無料販売機、ビニール管からいきおい良く山の水が流れている。 ペットボトル2本分を一気に飲み、頭を冷やした。 再び、「四国の道」に引き返し、伊与木(いよき)川に沿って歩く。 この川は不思議な川。 音がしない! 身をくねらせ、気配りの儀式を演じて、ゆらりと流れる。 清流には堰がない。
閑々と 照り返す路 曲がる川
河口の佐賀町に近づくと、おなじみの「くじらが見える町」という看板。 高知県の海岸の町は、例外なくこの看板を立てている。 「運がよければ、・・・」と書くべし。 伊の岬温泉ホテルに到着。 波をかぶるような海辺の古びたホテル。 宿泊はぼく一人。 村の人の憩いの湯。 ぬるぬるした超アルカリ温泉。 廊下をゾウリムシが走る。
8月24日 快晴。 今日の予定は伊の岬から中村まで、17キロの短距離、ゆっくり行こう。 超アルカリの朝湯をして10時過ぎに出発。 浮鞭(うきぶち)という広い砂浜海岸はサーファーのメッカ。 駐車場の松の木陰で寝転がると、あちこちからサーファーの会話が聞こえる。 高知弁は、どことなくのんびりしてやさしい響きがある。 ここから中村市まで、なんの特徴もない道。 ノンストップで歩いてしまう。 中村市では、ちょっと贅沢をして、落ち着いた旅館に泊まりたい。 駅前の観光案内所で、料亭もやってる旅館に電話してもらうが、出ない。 案内所の可愛い娘さんが、四万十川に面した民宿「せせらぎ荘」を推薦するので、すなおにしたがう。 普通の民家で、表札がない。 ここで、心優しいおかみさんのもてなしと、四万十川のグルメにありつけることになった。 2階の小奇麗な部屋に強烈な西日がさし、やがて、やわらかな赤みを増し、ツクツクボウシがひときわ声を高め、四万十川が夕闇に消えていった。
支流千 だれが付けたか 四万十川
8月25日 民宿のおかみさんが中村駅までおくってくれた。 切符を買って、喫煙所でたばこを一服。 ふと、宿泊料を払っていないことに気づく。 まだ駅前におかみさんの車があり、観光案内所で挨拶している様子。 お互いに、料金のことは頭から消えていた。 ぼくが最初に気づいてよかった! 高知市へ移動し一泊。 遍路が終わって雨が降り出した。 高知テレビが、東京都昭島市のくじら祭りを特集していた。 160万年前の化石が出たそうだ。 こちらは、「いつでもオッケー、ホエールウォッチング!」
クジラにも 言いてえことあり ギャラよこせ
8月26日 曇り。 羽田空港へ。
フラクタル(複雑に入り江が重なる湾) 影武者 夕涼み
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柴犬コロ(雷で震えが止まらない) 伊与木川(実に清流) 四万十川
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