奈良歩き (1999年冬)

1月23日(土曜日)、晴れ。
京都での学会のついでに、荷物を京都駅のコインロッカーに入れ、奈良の南をちょっと歩いてみた。 そこで、仙人に会った。 ぼくも仙人になってみたい。

まず橿(かしわら)神社を観て、藤原宮跡へ行きました。 あたりは、観光客も居なく、なんだか荒涼とした雰囲気でした。 藤原京は平城京や平安京よりも巨大だったということです。 いまだに解けない謎は、なぜ、この都がたった16年で遷都したかということらしいです。 橿原神宮にある考古学研究所の博物館に、奈良盆地の模型があり、時代順に遺跡分布をランプで見ることができました。 古墳時代までの遺跡の多くは山すそに分布していました。 きっと奈良盆地の中央一帯は湿地と湖沼で覆われていたと思われます。

足もとで 泣いて笑った 先祖たち

再び橿原神宮に引き返し、徒然草に出てくる久米寺に行きました。 境内では、ちょうど和尚さんが観光客に縁起を語っていました。 和尚さん、「・・・・・ぅちゅうのがカチ 公式の縁起ちゅうことカチ になってまして・・・・、皆さんが知ってはるのはカチ、女の白いふくらはぎをみて目がカチ くらみ、天からカチ ころげ落ちた久米仙人の寺のほうでっしゃろけどカチ・・・・注: カチ は入れ歯の音」。 この和尚、ほんまは仙人とちゃうか?

いまごろは なにを観とるか 久米仙人

久米寺から、近鉄八木駅まで歩いたついでに、今井町に寄りました。 ここは重要文化財の古い町並みが保存されているところです。 ぼくも中学校までは石川県の北陸街道に面した古い家で育ちました。 間口2間半のほそ長い、暗い家でした。 母屋の棟に続いて中庭に面した廊下があり、その向こうに蔵がありました。 問題は、便所が廊下の突き当たりにあったことでした。 夜、恐くてオシッコをこらえ、がまんできなくなると爺さんに頼みました。 爺さんは、ぼくが走って帰るまで、廊下に顔を出して、「おー、みとるよー」、「おー、みとるよー」と繰り返してくれました。

たて長の 旧家にひとつ 恐い場所

近鉄八木駅から近鉄名古屋まで、特急で2時間です。 やはり、奈良の南の地に立ってみると、伊勢神宮から関東への古代のルートはこれがメインだったことが想像できます。 現在の琵琶湖を通る東海道はずっと近年になってからだろうという気がします。 琵琶湖はもっぱら日本海へ抜けるルートとして位置づけられていたでしょうし、それに関ヶ原を超える陸上の道は大変険しかったろうと思われます。 奈良盆地の古墳は約7000基もあるそうです。

洋上の 民はまどいて 国造る