ぼくの自宅から、3方向に歩いて12〜14キロのところにヘルスセンターがある。 気が向いたとき、そこまで歩いて汗をかき、風呂に入って電車で帰るのがぼくの健康維持。 真夏の遍路は30キロ弱が一日の目安。 寝起きの悪いぼくとしては、午前のコースと午後のコースに等分して歩くことにしている。 そうすれば、急ぐ気持ちが抑えられる。 早起きして午前中に距離を稼ごうと考えるのは、ぼくにとって最悪。 真夏の午後には、かならずバテる。
8月19日 昨日は台風接近で飛行機が飛ぶかどうか危ぶまれた。 その台風が去り、嘘のような快晴。 去年のゴール、室戸岬を高知側にまわりこんだ奈半利(なはり)町を出発。 国道55号を1時間半歩き、土佐第一の難所27番へ入る。 初日から、4キロの急坂の洗礼。 杖にすがって休む姿は振り仰ぐ元気もない。 札所めぐりのマイクロバスもローギアであえいでいる。 この寺の湧き水のなんと美味かったこと。 頭にも思い切りブチかけて、「あとは下るだけ」のこの爽快さ! 箱根駅伝のランナーは上りの半分以下の時間で下る。 地球の引力にすなおに従い、脚はただ回転させるだけでいい。 さー、木陰に見え隠れして疾走するランナーになろう! さらば、27番! が、その物理法則はすぐに打ちくだかれた。 太腿筋がたちまち笑った。 脚をつっぱったままカニになって横歩き。 なんで二足直立歩行なんやー? 平地を歩かせてくれー! 40才前後の白装束の女がヨロヨロと登ってくる。 悲壮感を帯びている。 「お疲れさん!」と声をかえようとしたら、目の端にダーリンの姿。 こっちは、ゴルフ場の匂いがする体格のいい男。 でも、明らかにペースが遅い。 「お疲れさま」とダーリンに声をかける。 「ハヒー、ど〜も」と息が絶えそう。 今度は、ぼくと同じ年恰好の男と20代の男が登ってくる。 きっと親子だろう。 「お早いですね」と陽気な挨拶が飛んできた。 彼らは、ぼくと同じ歩き遍路。 遍路さんには三つのタイプがある。 マイクロバスや観光バスで山門まで乗り付けるタイプ。 電車や乗合バスで最寄り駅まで来て、あとは歩くタイプ。 そして、すべて自分の足で歩くタイプ。 「歩き遍路」は3番目のタイプを指す。 先の夫婦(?)は2番目のタイプ。
あまかった 夢は箱根を 駆け下りる
20日 快晴。 阪神タイガースのキャンプ地で知られる安芸市を出発し、野市(のいち)町の28番をめざす。 約20キロの海沿いのサイクリングロードを行く。 防潮堤の上、防潮林の中を交互にぬけて行く。 陽射しは強いが、木陰の風は心地よい。 海の色が美しい。 安芸市は童謡の町。 「浜千鳥」などを作曲した弘田龍太郎が生まれた地。 あちこちに、唱歌をしるした歌碑がある。 公衆トイレに入ると、自動的に唱歌が流れる。 ぼくは唱歌や童謡の歌詞にも惹かれる。 哀しくて、耽美な世界。
青い月夜の浜辺には 親を探して鳴く鳥が 波の国から生まれ出る 濡れた翼の銀の色
夜鳴く鳥の悲しさは 親を尋ねて海こえて 月夜の国へ消えてゆく 銀の翼の浜千鳥
21日 この日も快晴。 野市町を出て、29、30、31番をまわる。 このコースは高知市の東側から北側を迂回して中心部に至る。 30番は土佐神社の脇にあり、ここではあくまでも土佐神社が主役。 土佐神社の本殿、楼門、鼓楼は国の重要文化財であり、その威容は一見に値する。 30番を出て、レストランに入る。 ちょうど甲子園の決勝を中継しており、ご主人と奥さんと娘さんが明徳義塾高校(高知県代表)を応援している。 客はなし。 ぼくが店に入ったときは、まだ0対0。 「すみません。お取り込み中のところ・・・」といって親子丼を注文した。 「打撃戦になれば明徳の勝ちですね」なんて知ったかぶりを言って、ぼくも応援に加わった。 食べ終わったときには3対0で明徳がリード。 店を出るとき、「これは、明徳の優勝ですよ!」と、なぜか予言者に成りきってダメを押した。 いまごろ、レストランの奥さん、「Tシャツ着たお大師さんが来てな、明徳に運が着きよってきに・・・」なんて近所にいうてまわってるかも。 31番の寺は山の上、はりまや橋でかんざしを買った僧で有名。 後日談は、僧と鋳掛け屋の娘が駆け落ちし、讃岐でつかまり、僧は川之江(愛媛県)に流されて寺子屋の師になり、娘は須崎の大工の妻に嫁がされた。 明徳義塾は須崎にあり、これが準決勝で川之江高校と戦ったのも因縁。 ちなみに、娘の名は「お馬」。 馬が駆け抜けた夏の甲子園でした。 31番から高知港を経て、市内のビジネスホテルへ。 珊瑚のみやげ屋が多く、観光バスが客を連れ込んでくる。 珊瑚がこんな高価なものとは知らなかった。 それにしても、高知港からホテルまでは、もうバテバテ状態。
球児たち バテたオヤジの エールあり
22日 引き続き晴れ。 再び31番の方向へ歩き、山の裾をまわって32番に向かう。 途中、ホテイアオイ(金魚鉢などに入れる水草)が一面に咲いた池で休憩。 このあたりは太平洋の砂地だが、住宅地が造成されている。 やっと海が見えてきたが標識を見落とし、ハウス畑の熱風の中を延々と歩いてしまった。 軽トラックに乗ったおじさんに道を尋ねると、「お乗りなさい」といって引き返してくれた。 「遍路の寺は、貧富の差が大きいですね」というと、「札所からはずれた寺はもっとみじめですよ。 32番の坊主は人間もようないし・・・・」と、さんざんこきおろす。 たしかに、32番の山裾は切り開かれ、霊園を造成中。 納経してくれた坊主は赤ら顔で酒くさかった。 湾の大橋のたもとのフェリーへ向かうが、かなりの距離。 途中から、夫婦と3人の男の子が後になり先になる。 おとーさんと長男と次男が歩き、おかーさんと末っ子が車でフォローする。 みごとな連携プレー。 33番は桂浜のすぐ近く。 高知の夏はアイスクリン。 ここで、始めて食べる 。さっぱり味のソフトクリーム・・・これはなんだろう? 34番は西の方向、山里へ入る。 高知市の西側は山がせまり、開発が遅れている。 やはり、ビニール畑がやたらに多い。 それも、工場といった規模の大きさ。 中で果樹を栽培している。 今回の遍路は34番がゴール。 最後の納経を終え、春野町のシルバーセンター前で高知市内行きのバスを待つ。 まだ1時間もある。 ひっきりなしに、ご同輩のシルバーが出入りする。 銭湯があり、村の老人の溜まり場。 しきりに「乗っていかんか?」と誘われる。 大半がおばちゃんなので、「ひょっとしてナンパ?」とうぬぼれるが、これは遍路さんを接待する四国の文化。 なぜか、スイカが食いたくてたまらない。 きっと、おばちゃん達は冷えたスイカをご馳走してくれるにちがいない。
区切り打ち 終わりもやっぱり ただの人
高知城にて
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