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●天保元年(1830)
●天保2年(1831)
●天保5年(1834)
●天保6年(1835)
●天保8年(1837)
●天保10年(1839)
●天保11年(1840)
●天保12年(1841)
●天保14年(1843)
新潟町で米価高騰のため大規模打壊し発生。
僧良寛、三島郡島崎村にて没。
魚沼群井戸上沢鉛山が吉ヶ平源兵衛らによって発見される。
新発田藩、預地である福島潟の開発に着手。
福島潟約452町歩余の新田完成。
村松浜で薩摩船が難破したことから抜荷が発覚。廻船問屋若狭屋市兵衛、北国屋、田中屋ら50数名が江戸送りとなる。
柏崎で、国学者生田万が門人を率いて桑名藩柏崎陣屋を襲撃し、自刃。
鈴木牧之、「北越雪譜」初編三冊を江戸の文渓堂丁字屋から刊行。
幕府評定所で吟味されていた天保6年の抜荷事件に対し、若狭屋らに遠島、追放、闕所の処罰が下る
大西屋など新潟湊の廻船問屋たちが唐物抜荷の常習犯として江戸の牢屋へ送られる。
11月−幕府の「三所国替」(出羽庄内酒井家・長岡牧野家・武蔵川越松平家の3藩)の転封命令に反対し出羽庄内で大一揆が起きる。
7月−幕府、「三所国替」を中止する。
3月−幕府、天保11年の新潟湊抜荷常習の廻船問屋たちに遠島などの処罰を下し、天下へ公表する。
6月−幕府、長岡藩に新潟没収を命じ、勘定吟味役川村修就を初代新潟奉行に任命。
10−初代新潟奉行川村修就、新潟に着任。
長岡藩主牧野忠雅、京都清水の陶工・二代清水六兵衛を招き、長岡郊外悠久山内に藩窯を
創設。(関原焼き)
探検家松田伝十郎没。