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●宝永元年(1704)
●宝永2年(1705)
●宝永7年(1710)
●正徳3年(1713)
幕府、村上藩主榊原政邦を播磨姫路に、姫路藩主本多忠孝を村上15万石にうつす。
12月12日−幕府が遠州掛川藩主井伊直朝を乱心により改易し,養子直
矩(なおのり)を1万5,000石減封のうえ越後与板に移封して家名を継がせる。
村上藩主本多忠良をご三河刈谷に、上野高崎藩主松平輝貞を村上7万石にうつす。
燕、太田など85カ村の幕府領農民4,000人、村上藩への編入を拒み、一揆を起こし、江戸にて越訴を行う。
高田藩主戸田忠真を下野宇都宮に、桑名藩主松平定重を高田11万石にうつす。
この年、新潟町、柳を堀の両側に植える。