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●延享3年(1746)
●宝暦元年(1751)
●宝暦4年(1754)
●宝暦5年(1755)
●宝暦6年(1756)
●宝暦8年(1758)
●宝暦12年(1762)
4月−高田藩が家中に遊興を戒める。
5月−糸魚川藩領内川口村ほかの農民764人が,年貢の年
2回先納に反対して越訴する。
4月26日−高田が大地震に襲われ,大きな被害をだす。
蒲原(かんばら)郡で草生水(くそうず=石油)を掘りはじめる。
幕府、福島潟干拓のため、潟周辺の新発田藩領1万石余を没収。
福島潟干拓を山本丈右衛門に許可。翌年より開発に着手。
12月−長岡藩が飢饉のため困窮者へ施米し,年貢も半減する。
この年、三島(さんとう)郡寺泊(てらどまり)の医師丸山元純、『越後名寄(なよせ)』を著す。
7月−頚城(くびき)郡千原村の農民六右衛門が,母への孝行で褒賞される。
1月−長岡藩が,新潟の3か町の表通りに店を構える表店(おもてだな)
で販売する絹・縞木綿類58品を決め,他領商人の小売りを禁じる。