慶長年間リンク⇒ | 東北 | 関八州・江戸 | 東海・北陸・甲信 | 近畿 | 中国 | 四国 | 九州 | 洋上 | 前ページへ |
●慶長5年(1600)
●慶長6年(1601)
●慶長7年(1602)
●慶長8年(1603)
上野国館林藩主榊原康政、野洲・栗太・蒲生3郡で5,000石を領有する。
●慶長9年(1604)
●慶長10年(1605)
●慶長11年(1606)
●慶長12年(1607)
●慶長13年(1608)
●慶長15年(1610)
●慶長17年(1612)
●慶長19年(1614)
7月11日−石田三成が大谷吉継と佐和山城で会見し、家康追討の策を練る。12日、挙兵の盟主として毛利輝元を立てる。
9月15日−関が原の合戦。19日、佐和山城が落城。小西行長が伊吹山山中で捕らえられる。
9月20日−徳川家康、大津城で戦後処理を行う。
9月22日−石田三成、伊吹山で捕縛。
井伊直政、佐和山18万石に入封。佐久間安政、高島郡15,000石に入封。
戸田一西(かずあき)、大津3万石を与えられ、大津から城を移し、初代膳所城主となる。
6月−家康、諸大名に膳所城築城を命じる。
家康、近江総検地を行う。
小野貞則の大津代官就任により、大津が幕府直轄領となる。
井伊氏、彦根城築城に着手。
7月1日−幕府、伊勢・美濃・尾張などの7か国に彦根城築城の普請助役を課す。
大津代官小野貞則、大津町に初めて町触れを発する。
内藤信成、坂田・浅井・伊香郡のうち4万石に入封、長浜城に入る。
幕府、国友鍛冶にたいして鉄砲鍛冶の掟八ケ条を下す。
伏見城代松平定勝、高島・滋賀4万石を領知する。
幕府、石山寺を統制する法度を定める。
幕府、金勝寺(こんしょうじ)に寺領30石を寄進する。
家康、大阪城攻めのため近江入り。柏原・佐和山・永原を経て二条城へ入る。