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●万延元年(1860)
●文久元年(1861)
●文久2年(1862)
●文久2年(1862)
●文久3年(1863)
●元治元年(1864)
3月3日−彦根藩主井伊直弼、江戸桜田門外で水戸、薩摩の浪士に刺殺される。
閏3月−井伊直弼の死が公表される。
4月28日−幕府の配慮により、彦根藩、井伊直憲の家督相続が決まる。藩内で直弼に批判的だった攘夷派が台頭、
木俣、庵原の2家老に隠居、長野主膳を斬首刑に処す。
丁子屋小林吟右衛門、大阪安土町に両替商を出店。
幕府、彦根藩主井伊直憲の差控えと10万石の減封を命じる。
将軍家茂の上洛途上、草津宿など近江の宿駅で休泊。
太田(杉浦)重兵衛、園山に茶会を催す。
彦根藩、藩主直憲の差控えと神崎、蒲生の10万石減封を命じられる。
仁生寺(にしょうじ)藩が西大路藩に改称。
大津七組の年寄、大津〜京都間の疎水運河開削を企てる。
八・一八政変で、膳所藩の攘夷派が京都から一掃され、藩論が二分する。
10月−膳所藩・正義党(攘夷派)の1人榊原豊道が、俗論党の家老村松素行を襲撃。
蛤御門の変に際し膳所藩・正義党の榊原豊道、川瀬太宰らが長州に走る。