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●文化元年(1804)
●文化2年(1805)
●文化5年(1808)
●文化11年(1814)
●文化14年(1817)
●文政元年(1818)
●文政2年(1819)
●文政5年(1822)
●文政7年(1824)
●文政9年(1826)
●文政13年(1830)
膳所藩、窮民救済のため安民蔵設置の法令を発布する。
伊能忠敬、近江国中を測量する。
彦根藩勝手方西村彦之丞ら、勢多川通船計画をたてる。
東海道の大津〜京都間に車石(くるまいし)が敷かれる。
膳所藩が藩校遵義堂を開設する。
「近江名所図会」が刊行される。
滋賀郡下坂本(しもさかもと)村で打ち壊しが起こる。
国友一貫斎、「大小御鉄砲張立製作之法」を著わし松平定信に献上する。
12月−幕府が大津の富裕な商人に御用金を賦課する。
6月12日−伊勢・美濃・近江地方に大地震。
6月16日−幕府領八幡町で増助郷(ましすけごう)に反対する強訴がおこる(御朱印騒動)。
高島郡深溝村の藤本太郎兵衛らが文化年間の嘆願に引き続き瀬田川浚渫を願い出る。
5月−僧海量(かいりょう)が、彦根藩主のために石崎文庫を建てる。
10月6日−近藤守重(重蔵)が子富蔵の殺人事件に連座し、近江大溝藩(高島郡)に預けとなる。
堀田正敦が下野国佐野へ移封になり、堅田藩が廃藩となる。
伊勢神宮への御蔭参りが流行する。