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●享保3年(1718)
●享保5年(1720)
●享保7年(1722)
●享保9年(1724)
●享保10年(1725)
●享保11年(1726)
●享保13年(1728)
●享保14年(1729)
●享保16年(1731)
●享保19年(1734)
大津百艘船仲間、彦根三湊との相論に勝訴。
2月13日−幕府が近江彦根藩主井伊直該(なおもり)をふたたび大老とする。
加藤嘉矩(よしのり)、鳥居氏にかわって水口に入封。
4月−幕府が彦根領と大津間の湖上輸送を彦根三湊船によるとし,大津百艘船の特権を破棄する。
7月−幕府が大津を京都町奉行の直轄地とする。
高島郡の深溝・針江(はりえ=新旭町)・藁園(新旭町)・横江(安曇川町)・大溝新町(高島町)など11カ村の庄屋が連名で
瀬田川浚えを京都町奉行所へ願い出るが不許可。
郡山藩主柳沢吉里、神崎郡金堂・高島郡海津に代官所を設置。
幕府が定助郷(じょうすけごう)と臨時の大助郷の区別を廃止する。
8月16日−膳所藩が,中江藤樹の講学書院に諸説を免除し,学究活動を助ける。
9月21日−幕府が大津の米売買会所の設立を許可する。
9月−京都所司代、大津百艘船と彦根他屋船(たやぶね=三湊船)間の紛争に対し両者の権限を定める。
矢橋(やばせ)の船仲間のうちで船株をめぐる争論がおこる。
4月3日−幕府が畿内諸城の備蓄米調査のため勘定衆を派遣する。
正徳4年に彦根藩から一万石を分与された彦根新田藩が、本家相続により廃藩となる。
膳所藩士寒川辰清が『近江輿地志略』を著す。