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●慶応2年(1866)
●慶応3年(1867)
●慶応4年(1868・明治元年)
岡山藩、第二次長州征討で徳川慶喜に出兵を強く促され、茂政(もちまさ=慶喜の弟)は備後路まで出兵し、その地に留まる。
5月−倉敷代官所所、浅尾藩陣屋を襲った長州南奇隊脱走兵に逃亡されたことで、岡山藩は家老以下
の処罰。森下立太郎は郡奉行を解任されたが、自ら農兵吟味役となって農兵隊を編成。
12月28日−岡山藩に朝廷から西宮警備の勅命が下る。
1月2日−岡山藩、西宮警備の第一陣が進発。
慶喜追討軍を出すよう迫られた岡山藩主・池田茂正は病気と称し引退。鴨方
支藩の政詮(まさあき)を12代藩主池田章政として擁立、勤王討幕を明確にする。