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●寛永9年(1632)
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●寛永15年(1638)
●寛永17年(1640)
●寛永18年(1641)
6月18日−岡山藩主池田忠雄の死去にともない,鳥取藩主池田光政を岡山に,忠雄の子光仲を
鳥取に移封する。
熊沢蕃山が京極高通の推挙により岡山藩に仕える。
この年、全国でキリシタンでないことを証明する寺請制度が広がる。
朝鮮通信使を牛窓の本蓮寺で接待し、こののち慣例となる。
島原の乱に岡山藩などが派兵。
熊沢蕃山が岡山を辞去する。
異国船遠見番所を下津井・牛窓に設置する。
岡山藩池田光政が寛永改革をはじめる。
岡山藩主池田光政が城下に花畠教場を設立する(のちの岡山藩校)。