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●文久3年(1863)
●元治元年(1864)
岡山藩、武揚館を設け武術を奨励。
6月−岡山藩、水戸徳川家から斉昭の九男・九郎麿(茂政)を藩主に迎える。尊攘翼覇の立場をとる。
岡山藩、大坂警備から讃岐塩飽島・備中海岸持場警備に移される。
禁門の変に際し幕府は岡山藩に「征長芸州路二之手」を命じる。
岡山藩主・茂政は朝廷、尾張藩主徳川慶勝に長州の寛大な処置を建言し、広島へは家老池田出羽を出陣させる。
岡山藩、児島郡下津井村(倉敷市)、小串村(岡山市)など領内6ヶ所に砲台場を設置することとした。