山本七平プロフィール
大正10年生れ。親戚筋に「大逆事件」で刑死(冤罪)した大石誠之介がいる。自ら三代目キリスト教徒と称する。昭和17年応召、幹部候補生から見習士官となり昭和19年5月フィリピンマニラ上陸、少尉に任官し苛烈な野戦を体験。昭和20年9月フィリピンサンホセ盆地東北部ジャングルで降伏。その後、昭和21年12月に帰還するまでカンルーバン捕虜収容所に収監。帰国後も悪性マラリヤ等の後遺症に苦しむ。
昭和31年聖書学の専門図書を出版する山本書店を創立。昭和38年失火で書店を全焼するも再建。昭和45年岩隈直著「希和対訳新約聖書」の出版費用に充てるため『日本人とユダヤ人』を山本書店より発刊ベストセラーとなる。同書は、昭和46年度第2回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。その後著者に目さるるも否認しつづけた。昭和47年グアム島で横井庄一氏が発見されたことを契機に、日本軍隊論(『私の中の日本軍』他四部作)を書く。その迫真・冷徹な描写力が注目を集めた。「ある異常体験者の偏見」で第35回文藝春秋読者賞受賞。昭和56年日本人の思想と行動を捉えた「山本学」により第29回菊池寛賞受賞。本業を出版業とし肩書きは終生山本書店主であった。
平成3年12月10日膵臓ガンのため死去69歳。死後PHP研究所が「山本七平賞」を創設。生前「聖書学」の専門図書230冊余を出版。山本七平名の著書は、50歳以降死去するまでの20年間に、共著、対談、翻訳等を合わせ200冊に及ぶ。