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山本七平語録

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イザヤ・ ベンダサン

論題 引用文 コメント
ペンネームについて
『家畜人ヤプー』「ヤプーに寄せる一つの印象」──著書と著者──
イザヤ・ベンダサン
引用・コメント2001.7.1
ヤプーに寄せる一つの印象
-著書と著者-
昨年二月ごろ、東京の友人から送られて来た新聞に「日本人とユダヤ人」と「家畜人ヤプー」とが並べて紹介されていた。私はこの記事によって初めて本書の存在を知ったのであった。自著と並べて、何か開連ある作品のように扱われている書物は何となく気になるものである。さらに、その新聞には「家畜人ヤプー」の紹介は一行もないのだが、「去年は家畜人で今年はユダヤ人だ」といった意味にとれる妙な記述かおり、私は少なからず気になった。まさかユダヤ人を家畜人と見なしている本ではあるまいが、--と思いつつも、こう並べられていると、この本が自著に何か関連があるように思えて、何とか内容を知りたいものだという気がした。しかしこの関心も一時的なもので、時がたつとともに、いつしか何もかも忘れてしまった。

ところが今年の八月、角川書店から全く思いがけなく「家畜人ヤプー」について、書評ないしは紹介といったものを書いてほしいという依頼をうけた。そのとき自分が、全く反射的に、承諾を意味する返事をしてしまったことに、後で、われながら驚いた。考えてみれば不用意な話で、諾否はあくまで読後にすべきことであったろう。こういう結果になったのは、私の頭の片隅に、あの新聞記事への関心が残存していたからであろうと思う。
一読して、この作品は私の批評の範囲外にあると思ったので、書評ないし解説は、辞退したいと角川書店にお願いしたところ、何かの印象かあれば、それを書くようにとのことであった。もちろん非常に強い印象は残っているし、ある面では、最も強烈な印象をうけたといえる。しかしこの印象を言葉にするには、やはり相当の時間が必要であろう。そしてこの本は、特に、その時問を必要とする内容だと思う。従って今の私に言葉にしうるものかあるとすれば、それは、本書の内容よりむしろ本書の出現そのものである。

一体、前述の新聞は、何の理由で拙著と本書とを相い関連させて紹介したのであろう。通常こういった場合は、内容的に何らかの関連かあるはずである。しかし、この両書の間には、対比すべき関連は何も認められない。スクラップブックを引き出して再読すると、記者は、この両書を、いわゆる「著者不在」という点で、並べて紹介しているのであった。著者と著書の関係について、両書には関連があると見たわけであろう。なるほど面白い。これは確かに非常に面白い取上げ方である。角川書店からの依頼が、同じ観点からなされているとは思わないが、確かに本書の読者も、当然、この書によって「著書と著者との関係」という問題を提起されているわけであるし、新聞がそういう観点から両者を関連づけて取り上げたということは、この点に関心をもつ人も多いからであろう。この点について、私は前々から、一度取り上げてみたいと思っていたが、それは、自著への解説という形でなすべきでないことは、また論を俟たない――私は、自著の解説は絶対にすべきことではないと考えているし、本書巻末の著者の”自跋”もそういう解説の類とは思わない。だが本書への解説としては、内容とはまた別個に、その問題も、確かに、取り上げて然るべき問題であろう。なぜならそれが、確かに本書の性格に作用し、その点では拙著よりはるかに強く作用していると思われるからである。ある意味では本書は、この問題への恰好の、そしておそらく日本における唯一の題材であろうと思う。

この世の中には、芸術家は存在しない。存在するのは芸術品だけである。そしてこの芸術品を作ったと目される人を、世の人が芸術家と呼ぶだけであって、芸術家というものが、芸術品とは別に、独立して存在するわけではない。従って芸術家という言葉は、ほかの人がその人を呼ぶ称号であっても、「私は芸術家だ」と自称する言葉ではない。「人はわれを大工と呼ぶ」か、職人と呼ぶか、芸術家と呼ぶか、それはすべて呼ぶ人の勝手であって、その人のその作品への評価に基づいて呼べばよいのであって、呼ばれている本人は、その言葉とは関係がないし、それに規定される義務もない。またいかなる人間であれ、こういう言葉で規定される対象ではない。同じことはすべてについて言える――小説は存在する、しかし小説家というものが独立して存在するわけではない。その小説を書いたと目されている人を、ひとが小説家と呼ぼうと呼ぶまいと、それはその人々の勝手であって、呼ばれている本人には関係ないことだし、またその小説そのものの価値も、そのこととは関係がない。シェイクスピアを劇作家と呼ぼうが座付作者と呼ぼうが文豪と呼ぼうが、ハムレットの台詞には変化はない。従って「芸術家として」とか「著者として」とか「学者として」とかいう発言は、すべてこっけいである。なぜならこれらの言葉は、元来、自称してよいその人の「身分名」ではなく、他人か勝手につける称号だからである。従って「著者としての発言」などというものが、私にはあるはずがない。

このことは分りきったことであろう。しかし日本では、この基本的な考え方が明確にされていないように思われる。ある日本人が書いたものに、イギリスへ行ってフラットのおかみに職業をきかれたので「詩人」と答えたところが「それはほかの人があなたを呼ぶ名称であっても、自称すべき職業名ではない」と強くたしなめられたとあった。イギリスは面白い国だから、こういうおかみもいれば自らのヌードを披露する女流作家もいる。しかしヌードになったからといって著者の正体が明らかになったわけではない。同じように、たとえ私が、身長何フィート、体重が何ポンドから、性別・経歴・国籍まで書いた木札を首から下げ、ヌードになり、同じいでたちの沼正三氏と手を組んで銀座通りを歩いたからといって、「著者の正体」が明らかになったわけではない――否、ますます不明になる
二重写しにして読者に展示することは、読者を欺く以外の何ものでもあるまい。

創作したものが何であれ、作者とは、その作品のみを通して外部から名づけられかつ規定された存在なのである。従って自己規定ではない、ということは、もし小説を書いて読まれれば、それを書いた人は読者にとって小説家なのであり、従って「私は小説家でない」と自己規定することは許されない。これは、一編の作品もないのに「私は小説家だ」と自称するのと同じように、無意味なことだからである。ということは、あらゆる「作者」とは、いかに規定されまいとして、結局その作品によって、外部から、一方的に規定されてしまうものだということである。

しかし、外部から一方的に規定されるということは、本人の意志が全く無視されて束縛されてしまうことなのである。作品は着実に自分を縛り上げて行き、本人を、身動きできなくしてしまう。沼正三氏は、好むと好まざるとにかかわらず「家畜人ヤプー」の著者として、この作品で規定されてしまうのである。そして一たび規定されれば、その規定通りに行動しないと、読者への裏切者となってしまう。芥川龍之介は、ビューリコフの伝記を読めば、トルストイの「わが懺侮」は嘘だったことがわかる、しかしこういう嘘を書きつづけたことは、余人の真実以上の真実だという意味のことをのべている。これはいろいろの意味にとれることばだが、結局、作品を媒体として外部から強制された「作者」という虚像が出来、一たびこの虚像ができると、この虚像がその本人を徹底的に規定し束縛していく様をも物語っているともいえよう。そうなればその人は、もう「創造」はできないだけでなく、「自分」で生きて行くことすら不可能になる――これを逃れる方法はすべてを棄てての脱出しかない。このことは、規定の方向とは関係ない。すなわち聖者と規定されようと家畜人と規定されようと同じことなのである。

この問題は、実に古くからある問題で、昔はペンネームという方法で処理ができた。ペンネームは偽名でも匿名でもない。別名すなわち別人格を意味する名前である。従って作者すなわち作品により規定される者はペンネーム氏であって、規定されるのも束縛されるのも、作者という木札を下げさせられるのもペンネーム氏であって本人は「私には関係ない」という立場をとればよかった。しかしこの醇風美俗は、ベンネームを名乗らない限り、その人を作者と見なさず、その人はあくまで作者とは別の「別人格」として扱い、両者を同一視しないという伝統が保持されない限り、意味はない。この伝統が今なお残っているのは、あるいはイギリスだけかも知れない。

日本にはがんらいこの伝統はない。もちろん、一種これと似た表われは徳川時代はあったのだが――やはり「ない」と言うべきであろう。[一人]が認められない社会が、一人の中に二つの人格を認めるはずがないし、沼氏に脅迫状が来る現状では、それは望むべくもない。従って日本では、前述のように「日本人とユダヤ人の著者」「家畜人ヤプーの著者」という木札を首から下げさせられ、都大路を引きまわされて、ジャーナリズムの獄門にさらされる結果になるであろう。もっともそうされるのが好きで、機会さえあればそうされたいと思う人もいるのであろうが「出世」とか「名をあげる」とかいう概念も言葉もないわれわれにとっては、その心情は興味の対象となりえても、模倣の対象とはなりえない。

もちろん沼正三氏と私の行き方は同じとはいえまい。しかしおそらく氏は、絶対に阻害も束縛も規定もされたくない何らかの「自由」をもっておられるはずだ。その自由は、おそらく読者が想像するものとはちがい、また、私の自由とも全く異質のものでもあろうが、しかしそれを阻害されないためには、あらゆる手段をとる権利をすべての人がもっており、自分ももっていると考えている点では同じであろう。そして、その自由がどのような質の「自由」であれ、それをもつものだけに、何かを書くことが許されていると私は思っている。もちろん、何もせずにこの自由が守れればそれが一番よい。しかしそれを守ることは、己が生命を守ると同様の細心の用心が必要なこともまた事実である。

本書のような作品は、その方向がいずれであれ、この自由をそのように守っているものだけが生み出しうるものであろう。もちろんこれは、作品の評価そのものとは別の問題だが――。しかしその自由から生み出されたものでない作品は、初めから無意味である。そしてこの点だけでもこの作品は、少なくとも現代の日本では、実に稀有の作品であろう。もちろん、方向も質も主題も全く別物であっても、作品と作者との関係が、上記のような関係にある作品が、ほかにも数多く出現してほしいと思う。
イザヤ・ベンダサン
『家畜人ヤプー』47.11.10初版発行
 イザヤ・ベンダサンを山本七平と同定する見解はいまやほとんど定説化していて、『怒りを抑えし者【評伝】山本七平』の著者稲垣武氏も「ベンダサンは架空の人物であり、『日本人とユダヤ人』は、山本が書いたものに他ならない」としています。
 しかし、山本七平の説明によると『日本人とユダヤ人』は、二人のユダヤ人(メリーランド大学教授のジョン・ジョセフ・ローラーとミンシャ・ホーレンスキー)と山本七平の合作で、イザヤ・ベンダサンというのはその著作にあてられたペンネームだといいます。
 また、山本七平はこの本の著作権は自分にはなく、版権だけ有しているということを繰り返し述べていました。実際、この本の主張はあくまでユダヤ人から見た日本人ということであって、山本七平はこの本の出版当初、「ベンダサンは日本人はキリスト教は理解できないと断定しているが、私はキリスト教の専門出版社だからこれを肯定するわけにはいかない。そして氏の論証の前にタジタジとなったのは私であった」と書いています。(「イザヤ・ベンダサン氏と私」)
 また、その出版の動機について、どうして聖書協会ができて100年も経つのに、日本というのはこんなにキリスト教の伝道がうまくいかないんだろう。それは宣教師が日本の文化を全然知らないからではないか、ということで議論したり資料を持ち寄っているうちに、この本が出来上がった、といっています。
 こうして、『日本人とユダヤ人』という本に、ペンネーム、イザヤ・ベンダサンという人格を負わせることになったのですが、その後のベンダサン名の著作については、ローラーは関わらなくなり、山本とホーレンスキーの合作となったと言っています。
 『日本人とユダヤ人』の中には随所に、ユダヤ教徒の視点からするキリスト教に対する厳しい批判が出てきます。また、イザヤ・ベンダサン名の第二作となった『日本教について』は、朝日新聞の「中国の旅」をめぐる本多勝一記者との論争など、ホーレンスキーの存在を抜きに語ることはできません。
 そのようなことを考えながら、左の『家畜人ヤプー』に付されたイザヤ・ベンダサンの感想文=「著書と著者」を読むと、ペンネームを使うことの意味合いが、日本人の想像するものとは全く異なっていることが分かります。ペンネームをこのように解すれば、イザヤ・ベンダサンの素性を突き止めようとする行為が無意味であることも分かります。
 しかし、そうした伝統が、「出世」とか「名をあげる」とかいう概念も言葉もない人びとによって維持されているというなら、ちょっと今の日本人にはまねのできる事ではないように思います。
 山本七平はその後、こうしたイザヤ・ベンダサン名の著作とは別に、山本七平という自分自身の名前で、自らの軍隊体験を語るようになりました。そのきっかけは、横井さんや小野田さんが出てきて旧日本軍が話題になったこともありますが、特に、「百人斬り競争」論争における二少尉が、日本軍においてほぼ氏と同様の境遇にあり、かつ、この事件が冤罪だと氏自身に確信されたためです。これが山本七平名の最初の著作『私の中の日本軍』となりました。
 では、山本七平がどうして、『日本人とユダヤ人』、『日本教について』、『日本教徒』、『ベンダサン氏の日本の歴史』などを、――そこにどの程度ユダヤ人の見解が含まれているか判らないが――ベンダサン名義で書いたかということですが、一つは、聖書学の観点から、日本におけるキリスト教理解の問題点を指摘するため。もう一つは、「日本教」というべき独自の人間観を生み出した日本の歴史を、比較宗教学的な視点から解き明かそうとしたためではないかと思われます。
 前者は、日本のキリスト教関係者からの強い反発が予測されました。そこで、その著書の人格を、ユダヤ人イザヤ・ベンダサンに負わせることで、著者としての自由を確保しようとしたのでしょう。
 後者は、クリスチャンの家に生まれた山本七平が、自らの戦争体験を通して、生涯問い続けることになった、二つの神――旧約聖書の神と現人神「天皇」――の違いを解き明かすことでした。
 このいずれも、極めて危険な作業であり、実際、前者は、いわゆるキリスト教左派とされるグループから執拗な攻撃を受けました。後者は、天皇制に対する解釈が「右翼」的であるとして、左派言論人の激しい攻撃の対象となりました。戦後の天皇制に対する関心の低下もあってか、極右のテロに遭うことはありませんでしたが・・・。
 そして、これらの山本七平に対する攻撃の矢面となったのが、イザヤ・ベンダサンというペンネームの使用でした。これを説明したのが、この『家畜人ヤプー』の批評ですが、ペンネームについてのこのような考え方は、現代の日本人にはなかなかできないと思われます。案の定、山本が危惧した通り、山本は偽名で作品を書いたとレッテルを貼られ、読書界から忘れられることになりました。
 しかし、私は、そうした自由な位置から書かれた山本の作品が再び見直される日が必ずやってくると思っています。
日本人が差し出す言葉の「踏絵」
『日本教について』

p17~18

 「踏絵」というものを御存知ですか。これは三百年ほど前、時の政府がキリスト教を禁止したとき、ある者が、キリスト教徒であるか否かを弁別するために用いた方法です。すなわち聖母子像(はじめは絵で、後には青銅のレリーフになりました)を土の上に置き、容疑者に踏ませるのです。踏めばその者はキリスト教徒でないと見なされて赦され、踏むことを拒否すれば、その人はキリスト教徒と見なされて拷問され、処刑されました。
ところで、もしかりに、私かあなたのようなユダヤ教徒がその場に居合わせたら、どういうことになったでしょう。御想像ください。容貌からいっても、服装からいっても、言葉・態度・物腰からいっても、私たちは当然、容疑者です。もちろん私たちは、懸命に、キリスト教徒でないことを証言するでしょうが、おそらくだれもそれを信用してはくれず、踏絵を踏めと命じられるでしょう。どうします?言うまでもありません。われわれけ踏みます。われわれユダヤ教徒が偶像礼拝拒否して殺されるならともかく、偶像を土足にかけることを拒否して殺されたたなら、世にこれほど無意味なことはありますまい。これはわれわれにとって、議論の余地のないことです。だが次の瞬間、一体、どういうことが起るか、おわかりですか?
日本人はこういう場合、一方的にわれわれを日本教徒の中に組み入れてしまうのです。おそらくお奉行からは、異国人の鑑として、金一封と賞状が下されるかも知れません。同時に、もしそこに、踏絵を踏むことを拒否して処刑を待っている日本人キリスト教徒がいたら、その人びとは私たらを、裏切者か背教者を見るような、さげすみの目で眺めるでしょう。その際、私たちが踏絵を踏んだのは、日本人が踏絵か踏んだのとは全くちがうことなのだ、といくら抗弁しても、だれも耳を傾けてくれないでしょう。『日本人とユダヤ人』を出版した後、私は、踏み絵を踏んでお奉行にほめられたような、妙な気を再三味わいました。
 ベンダサンはここで、日本人は、この「踏絵」を差し出すという行為と同じように、「言葉」を相手の「政治的立場」を判別するための「踏絵」として差し出す、といっています。
つまり、その「踏絵」としての「言葉」を踏むか踏まないかが問題であって、その「言葉」(=思想)を通して、相手の「言葉」(=思想)を知ろうとしているのではない、というのです。 
また、ベンダサンはここで、日本語には条理(「日本教」の教義を援用した説得術)はあっても論理はない、ということをいっています。
これは、日本人が、自ら「万人共通」と思う「日本教」の教義に無意識的に支配されているためで、それがどのような思想に基づくか論理的に説明し得ないことから、起こってくる問題だといっています。
『特別企画 山本七平の知恵』実業の日本「ベンダサン氏と山本七平氏」) 「私は、『日本人とユダヤ人』において、エディターであることも、ある意味においてコンポーザーであることも否定したことはない。ただ、私は著作権を持っていないという事実は最初からはっきりいっている。事実だからそういっているだけであって、そのほかのことを何も否定したことはない。」  山本七平は、『日本人とユダヤ人』の著作権(その作品についての絶対的な権利──絶版権なども含む)は自分にはないが、この本を作るにあたって編集者以上の関与(資料提供・翻訳・部分的記述など)をしたことを認めていました。

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