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山本七平語録

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政治評論

                              
論題 引用文 コメント
自らの発想に基づく自らの思考で、長い模索に耐えなければならない時代を迎えた。
 『存亡の条件』山本七平(s50.12.4)
まえがき
 一九世紀のある時期、一九二〇年代のある時期、また第二次大戦後のある時期、それらの”時期”は、多くの民族か多くの苦難に直面していたとはいえ、ある意味では「幸福の時」でもあった。というのは、それらの”時期”には、多くの人が、人類の進歩・解放も、理想的な平和・平等・自由の社会も、すぐ目の前にあって、自分の努力しだいで、それが入手できると信じ得たからである。
 だか、いずれの時代であれ、その”時期”は短い。そして人は常に、長い模索の時代にまた入らなければならない。それは、今でも同じであり、人類が生存しつづける限り、永久に同じであろう。だがわれわれの社会は、その経験か浅かった。というより皆無に近かった。われわれには常に先達があり、その先達から言葉を借り、理論を借り、技術を借り、それによってその先達に追いつくか、追いついたつもりになれば、それでよかったからである。そしてこれは、少なくとも明治以来の、われわれのもつ唯一の目標であり、方法論であった。だかこの”時期”も過ぎ去ったように思われる。
 われわれが専ら”まね”をしてきた西欧と西欧思想は、大体、一七世紀の末期以降のものであり、彼らかそこに到達するまでの長い長い期間のことは、実際には、検討しようともしなかった―― 一部の専門家を別にすれば。
 また文化の移入を、まるで精神の整形手術のような形で行い、その顔を手術的に”西欧化”したとて、その人の産み出す子ども、すなわちその思想と行動は、結局、祖先伝来の顔をしているにすぎないということも気づかなかった――たとえ本人かそれをどのように自己評価しようとも。
 そしてわれわれは、そういう状態で、自らの発想に基づく自らの思考で、長い模索に耐えなければならない時代を迎えたのである。もはや拙速はない。安直な解答もない。「・・・では一体どうしろと言うのだ」と言ったところで、だれもそれに答えてはくれない。どうするかは自分で探さなければならない時代が来たのである。
 だがこれは、結局、多くの民族がやってきたことであった。そして何かを模倣するときはその対象は相手だが、手さぐりで探すときの基準は「自分」であり、探している対象も実は「自分の位置」すなわち自分なのであって、それ以外には何もないのである。従って手さぐりの第一は、いかにして自己を規定し、ついで世界における自己の位置亡規定するかにある。
 そして、自己と自己の位置とは、どのように二つ以上の対象を見、その対象と自己の位置とをどう規定するかできまることであろう。この方法は、基本的には、大洋で船が自分の位置を測定する方法と変わらないはずである。確かに今までと同じように外国や外来思想、外国の歴史を見る。見る点という点では同じでも、それは模倣の対象または到達すべき目標として見ることとは同じでない。従ってこの見方は何の速効性もないし、「では、どうしろと言うのか」という答も出てこない。だがこうやって自己の位置を知ることが出発点であり、それをしない限り、何一つはじまらないのである。
 本書が、その自己規定への一助となれば、幸いである。

     
 この本は昭和50年12月4日に発行されたものである。書名『存亡の条件』が示す通り、日本文化が滅亡せず存続していくためには、どういう課題をクリアーしなければいけないかを論じたものである。この本が出版されてから45年以上を経過するが、ここで提示された課題が、日本人に認識され、その克服が進んでいるとはとても思えない。
 山本七平がこの本で言っていることは、人間は、本質的に合理性と非合理性の矛盾を抱える存在であり、そのバランスは、民族文化によって異なっているということ。それが近代化に伴い民族文化の相互交流が起こることで、それぞれの文化の合理性と非合理性が混淆し、それがプラスに働いたりマイナスに働いたりする。
 日本においては、明治時代はそれがプラスに働き、急速な近代化に成功した。しかし、大正時代を経て昭和時代になると、西欧の「歴史的救済のための殉教」という非合理思想が流入し、それが明治維新の尊皇思想と結びついて、明治憲法下の「立憲君主天皇制」を「天皇親政現人神天皇」に変えた。その結果、非合理性の制御が出来なくなり、日本は滅んだというもの。
 このように、民族文化における合理性と非合理性の緊張関係は、その実相を正しく認識し、その相互作用を見極める必要があり、これを間違えると、国は残っても文化的には滅ぶ危険性があるということである。この本は、このことを、二度のユダヤ戦争(66~73)(132~235)を経て滅んだユダヤ国家を紹介する中で、日本が生き残る道を示している。
 
第四章 合理と非合理
東は東、西は西でない――合理・非合理について
『存亡の条件』山本七平(120~123)
 典型的なヒエラルキー集団の頂点といえるヴァティカンが、「任命による職務」と、それによらない「”霊の選び”による能力」に基づく任務の、二つの指導性を認めていることは、すでに述べた。いうまでもなく、組織は常に合理性を要請する。しかし、人間に非合理性がある限り、その組織が完全に合理化すれば、その瞬間に、その組織は人間を排除してしまい、その結果、組織として機能を失って形骸化し崩壊することは、論をまたない。
 従って以上の二つを二重基準と規定するなら、二重基準でない個人も民族も、基本的にはありえない。だが、この意味の二重基準は、互いに他を必要とし、互いに他がなければ存立し得ないから、互いに相対立する二重基準とはなり得ない。いわば、この基準は、合理性と非合理性といった基準であり、各文化は常に、その組織の昨で非合理性を昇華する方法をもっていた。
 ところが、文化の混交は、この非合理性を、二重に重ねて、それによって、その矛盾を消去して最も合理的な行き方をさせ、急速に発展させる形で作用することもあれば、それか逆転して矛盾か倍増し、その一民族を動きがとれないような滅亡に追い込むこともある。いわば、文化の混交の破滅的作用が、最も明確に露呈して来るのはこの部分である。従って、この部分の解明に焦点をあてて、日本の場合をふり返ってみよう。
 この点でまず問題になるのは、戦後も新しい「欧化」がはじまったため、現代に至るまで、多くの人は「西欧的=合理的」「日本(儒教)的=非合理的」という奇妙な迷信をもちっづけていることである。
 この見方はもちろん無根拠で、日本(儒教)的な合理性も存在すれば、西欧的な非合理性も存在する。人間が人間である以上、またそれが社会を構成する以上、共に合理・非合理の両面をもつのが当然であろう。そして前述のように社会は常に合理性を要請する。
 そこで儒教は非合理性を自己に還元して、これを内心の問題として解決することによって、合理的に社会を構成し運営しようとする。従って儒教を体得した者が科挙の試験を受け、これに受かれば士大夫となって統治の中枢となり、その基本には「修身・斉家」を置く。これがその基本形であった。
 一方、西欧は、非合理的な面を社会の一部に組織化し、いわば非合理性に社会的枠をはめて、その外で社会の合理的処理を行おうとする。いわぱ国家と教会の相互不干渉(信教の自由)、宗教的・民族的・国民的伝統と現実政治との実質的分断という形で合理性を実現しようとする。
 信教の自由という言葉は、通常、日本では、政府は国民の宗教的信仰に干渉してはならないの意味だが、西欧におけるこの問題の焦点は、むしろ、教会乃至は宗教的カリスマ的指導性が政治に介入してはならない、いわば、宗教からの政治の自由にあった。これは、政治の脱宗教化に、異常な苦しみをなめた文化圏と、はじめから脱宗教化していた徳川幕府の統治を当然として来た民族との、受けとり方の違いであろう。
 それが「予算の議決権と執行権」さえ握れば、他はすべてどうであろうと、一向にかまわないというイギリス的行き方になる。名目的には、国王の政府であろうと国王の軍隊であろうと、国王が国教会の宗教的首長であり、従って外形的にはイギリスは今なお戦前の日本よりはるかに中世的で、サウディ・アラビアと同様、最も原始的な宗教首長支配の国であろうと、そういう非合理性には、逆に、一切タ″チすべきでない、「合理的部分」だけを的確に把握して、他はすべて棚上げにすればよいという考え方がそれである。儒教圏と方向は違うがこれも一つの合理性の追求と確立をめざしており、その点では同じである。
 この二つの合理性が併存して、それぞれ正の面を発揮すれば、それは最も合理的で統治しやすく、かつ急速な発展を約束された社会である。明治期と戦後期の急速な発展にはそれか見られる。しかし、いうまでもなく、合理性と非合理性は固く結合しており、それは封建社会であれ、また、資本主義社会であれ、社会主義社会であれ、変りはない。
 確かに人類は非合理性なき社会を夢み、今もある国がそうであると夢想したがる。しかし、その夢は当然のことながら常に裏切られた。またいずれの社会であれ、非合理性の”攻撃”にさらされており、それは常にさまざまな運動や事件として新聞紙上に報道されており、ソ連、中国とて、その例外ではない。
 それらを思い合わせれば、儒教的合理性と西洋的合理性の併存は、明治と戦後の二つの激動を乗り切るにあたって、前述のように格好の武器であったろう。何しろ社会は法的に合理的に構成され、一方、それより生ずる非合理性は各人が内心の問題として解決してくれたから。
 だが、この合理性は共に非合理性と裏腹の関係にある。西欧の場合の非合理性は、いうまでもなく伝統的な「殉教者自己同定による自己または特定集団の絶対化」であり、儒教の場合のは、「社会問題の自己同定化による内心の解決」と、その逆方向への発散である。
 もちろん両者は、長い伝統により、それぞれ、それに対する一種の免疫と抵抗素をもち、またそれを消去する手段をもっていたが、しかし昭和初期の日本は(そしておそらく今の日本も)この二重の非合理性が累加して弱点として露呈したとき、全くこれに対する手段をもたず、哀れなほど無抵抗に瓦解し、破滅したわけである。

     
 日本人における、この合理性と非合理性の関係はどのような形で現れているか考えて見たい。言うまでもなく、この合理性は社会組織上に表れ、非合理性は宗教的感情に表れる。日本において、社会組織上の独自の形が生まれたのは、鎌倉時代の「貞永式目」以降である。一方、宗教的感情は、縄文時代以来の日本列島の自然に対する人間の祈り(神道)をベースに、大陸から仏教や儒教の教義が伝えられ、この三者が混淆して、今日の日本人の宗教感情を形成した。
 「貞永式目」は、鎌倉時代に、源頼朝以来の先例や、道理と呼ばれた武家社会での慣習や道徳をもとに1232年に制定されたものである。
 その第一条、第二条には、宗教的な祭礼について次のように規定がある。
第1条:「神社を修理して祭りを大切にすること」
 神は敬うことによって霊験(れいげん)があらたかになる。神社を修理してお祭りを盛んにすることはとても大切なことである。そうすることによって人々が幸せになるからである。また、供物(くもつ)は絶やさず、昔からの祭りや慣習をおろそかにしてはならない。関東御分国(かんとうごぶんこく)にある国衙領(こくがりょう)や荘園(しょうえん)の地頭と神主はこのことをよく理解しなければならない。神社を修理する際に領地を持つ神社は小さな修理は自分たちで行い、手に負えない大きなものは幕府に報告をすること。内容を調べた上で良い方法をとる。
第2条:「寺や塔を修理して、僧侶(そうりょ)としてのつとめを行うこと」
 僧侶は寺や塔の管理を正しく行い、日々のおつとめに励(はげ)むこと。寺も神社も人々が敬うべきものであり、建物の修理とおつとめをおろそかにせずに、後のち非難(ひなん)されるようなことがあってはならない。また、寺のものを勝手に使ったり、おつとめをはたさない僧侶は直ちに寺から追放すること。(web「現代語訳『貞永式目』全文」より)
 ここに鎌倉幕府の宗教政策の基本が定められているわけであるが、その特徴は、神社に祭られる神がどのようなものか、あるいは、寺の宗派が何であるかについては、何も規定されていないということである。ただ、「神社や寺を大切にして祭礼などを怠りなく、僧侶もその勤めをしっかり行う」ことを社会秩序安定のために求めているのである。そして神仏混合を当然としている。
 今日の日本も、基本的にこの「貞永式目」の延長上にあることは間違いないといえる。
 
 
    
知識人の「殉教者自己同定」
『存亡の条件』山本七平(125~129)
 西欧の殉教者賛美、殉教者礼拝は、その最大の象徴である十字架と殉教者像への礼拝に象徴されるように、西欧一千数百年の基本的伝統だが、元来、日本には存在しない。いうまでもなく、殉教者礼拝を公然と行いうる社会は、すでにその面における殉教者が存在せず、逆に殉教者が一つの権威となっており、その者を殉教させた体制から解放されていることを証明している。
 しかし、そうなってはこの自己同定は無意味になるから、この権威を自己に同定し、殉教者の権威を自己の権威として絶対化するには、虚構の”現世牢獄論”を展開し、自分も民衆もその牢獄の中で殉教者同様の状態にあり、自分を苦しめているその勢力は、殉教者を殉教させた勢力と同じだと規定しなければならない。

心理的解決としての”終戦”

 ところがこう規定されると、殉教者が礼拝される社会では、殉教者と同定された彼に反対するものは一切「悪」であり、排除すべきものだということになるから、一切の批判・反論は不可能になり、そこで彼は、反対者に対して「異端宣告」という「知的テロ」を行い得、現実のテロ「異端審問・処刑」へと進む。
 以上がいわばこの基本的図式である。これが西欧における伝統的な非合理性の集約的な現れ方であり、いわゆる”合理的”な西欧で、外形は変わっても常に存在し、かつ問題になっていることは、最近のG・シュフェール『長椅子の知識人たち』についての林三郎氏の紹介にもそのまま現れている。氏は「殉教者自己同定」という言葉は使われていないが、「知識人党」の名で紹介されているその内容は、まさに同じものといわなければならない。

次にその一部を引用させていただく(『月曜評論』一九五号、カッコ内は筆者)

 「この『知識人党』が平和に生活できるのは、武装しているからだが、民主主義国でも全体主義国でも、知識人の武器はモラルである。モラルはそれ自身が批判であるから、批判の対象にはならない。もっとも、全体主義国における知識人はプリンスの意思の前に頭を下げることを拒否し、牢獄や死を賭ける(すなわち殉教をかける)。
 一方、自由な民主主義国では彼らのモラルの猿まね、あるいは顔つきだけだ。ロシアの抗議者は自己の存在を賭けるが、民主主義国の抗議者は、光輝ある衣裳をまとうために、前者の威信を利用しようと試みるだけのことで、前者は(殉教の)恐怖の中に生き、後者は自分らが、それを非難する贅沢を持つところの政治的習慣によって保護され、快適に生活する。
 このシステムは絶妙に機能し、使命感を帯びさせる。彼らは代理によって英雄になる。北ベトナム支援のデモや署名によって、ジャングルで戦う無名の人びとと自らを同一化する(すなわち殉教者自己同定)。同一化が全面的であるためには(殉教者への)死刑執行人の目が光ることが必要なのだが、民主主義国には、そんな者はいない。
 だから彼らは、自分か喜劇役者であることを認めるか、それとも(今にも殉教する)全体主義世界に生きていると信じ(かつ信じさせ)るかの、どちらかだが、知識人は、むろん後者を選び、自分を迫害の中に生きる英雄に祭りあげる(すなわち殉教者自己同定)。この時から彼らは正当化され、同時に無限の自由を得るのだ・・・。
 なお、シュフェール氏は、これら『知識人党』による『知的テロリズム』(伝統的表現を使えば西欧の『異端宣告』であろう)をも論じている。
 テロリズムとは何か。『自らの理念を、信仰を、他人に押しつけ、自らの行動を周辺の人に押しつけることを許すところの物理的・知的手段一切をひっくるめたもの』と著者は規定し、『知的テロリズム』の方法を具体的に説明している・・・。」
 この問題は、もちろん現代の日本にも存在する。いわば「正義の側に立つ被害者(殉教者)との自己同定」すなわち「殺される側に立つ」論理であろう。
 前に本多勝一記者への心酔者。俗にいう「本多教徒」からだいぶ脅迫状(一種の知的テロであろう)をもらったが、その心的態度の基本にあるものは、ほぼシュフェール氏が説くものと同じであり、この「殉教者自己同定」という西欧の伝統的な非合理性が、わが国にも完全に根づいていることを示している。
 後述する『軍刀の知識人』のこの行き方に苦しめられた経験をもつ一定年齢以上の人に、いわゆる「本多教徒」への嫌悪感はあるであろう。だが、西欧がこれに対する非常に強い免疫性と拒否反応をもつ(前述のような著書が出、ル・フィガロ紙がほぼ一ページを割いてそれを紹介したのも、その一例であろう)のに比べれば、日本はそれが皆無に近く、特に戦前は皆無であり、この非合理が絶対の権力を握ってしまうと、これに対してどう対応すべきか、方法を失ってしまう。これは現在でも同じで、まだその方法論さえ確立していないのが実情だが、戦前は文字通り決定的であった。
 そして昭和初期には。これがさらに決定的であり、この西欧の非合理性と日本的儒教のもつ前述の非合理性が結びつくと、その”知識人党”に対して、だれも対抗する手段をもたなかった。これが明治の正の面がすべて負に出てきたと記した理由である。そして今の多くの人が天皇制の害悪を説くものの実体は実はこれなのだが・・・。
 
 先に述べたように、日本の宗教感情は基本的に神儒仏混合であって、宗教宗派間の争いは基本的にないといって良い。幕府が宗教宗団に干渉したのは、それが社会秩序の安定に寄与せず、乱す行為を行った場合である。日蓮の佐渡流罪については、式目第十二条の「悪口の咎の事」に拠ったとされる。  「一 悪口の咎の事。
 右、闘殺(突発的殺人)の基、悪口より起る。その重きは流罪に処せられ、その軽きは召寵め(拘禁)らるべきなり。問註(訴訟)の時、悪口を吐かば、すなわち論所(係争中の物権)を敵人に付けらるべきなり。また論所の事その理なくば(悪口を吐いた側に論所に対する正当な権利が認められなければ、その論所は当然に相手側に引き渡されるのだから)他の所領を没収せらるべし。もし所帯なくば流罪に処せらるべきなり」
 「悪口罪」とは面白い罪だが、元来武家は無用の議論を嫌い、『重時家訓』にも「いかなる事を人はいふとも、物を論ずる事なかれ。詮ながらん事一言も無益也……」としている。これは今の言葉でいえば名誉毀損、証告、またはそれで擾乱が起る可能性があるから擾乱予備罪といった罪であろう。浄土門徒の訴えに対して幕府はこの十二条すなわち「悪口の咎の事」に基づいて日蓮の伊豆流罪を決定した。(『日本的革命の哲学』p261)
 日蓮宗は法華経を絶対視する見地から、他宗が法華経に拠っていない事を根拠に「真言亡国、禅天魔、念仏無間、律国賊」と他宗を批判したことが「悪口罪」に問われたわけである。
 (貞永式目の)追加法であれ日蓮に対する態度であれ、幕府はこの原則をほぼ原則通りに守っている。。西欧がこの状態に達しだのが十九世紀であることを思えば、日本とは特異な国だとりわねばならない。日蓮の法難はむしろその点で幕府を評価すべき事件であろう。」(『日本的革命の哲学』p264)ということになる。
 ところが、こうした「貞永式目」における「世俗法と宗教」の関係は、徳川幕府の檀家制度の導入により一種公務員化したことで、仏教は「人間の非合理性の救済=信仰」を失うことになり、それが幕末の廃仏毀釈に発展した。代わって、尊皇思想に裏付けられた神道が、キリスト教の一神教の影響を受け国家神道となり、明治憲法下の立憲君主制と桎梏を繰り返すことになった。
 さらに昭和になると、立憲君主ならぬ「現人神」化した天皇への殉教者=楠木正成を賛美する皇国史観によって、玉砕や特攻という戦術が美化され、さらに一億玉砕となる寸前、立憲君主たる昭和天皇の聖断により、民族の滅亡を免れたのである。
 
奇妙な前提――〈私は正しい〉の恐るべき帰結
『存亡の条件』山本七平(135~138)
 一体、非合理性とか矛盾とかいった問題を、どう見、どう解し、どう扱うべきであろうか。これは、最終的な無謬性と可謬性。整合と矛盾の問題になると思う。では一体、無謬性とか無謬性の主張とかは、どういう形で現れるのであろう。一言でいえば前述の”知識人党”のような形で現れる。彼らの考え方の基礎にあるものは、「自己無謬」という前提である。
 いうまでもないが、自分の判断か無謬だと信じない限り、人間は発言できない。発言とはすべて自己の無謬を前提としない限り成り立たない。この前提を否定すれば、たとえ憲法が言論の自由を保証したところで、言論の自由はあり得ない。「これから間違ったことを発言します」という前提の発言は、討論の技術乃至は詐術としてはあり得ても、実際にはあり得ないのである。
 そしてもしその人、またはその集団が、「自己無謬」らしく見える位置を生涯保持しようとすれば、また、保持しなければ自己の職業を失いかつ社会的位置を喪失するということになれば、否応なしに”知識人党”のような態度をとらざるを得なくなるであろう。
 従ってこれを職業と考えるなら「自己無謬業」とでも言う以外にない。この問題は、もちろん日本や西欧だけでなく、形を変えれば全世界に存在し、また現代だけでなく古代にもある。古代のそれについて第二章を読まれれば、ほぼ推察がつくであろう。
 自己無謬の主張とは、基本的にいえば、「自己義認」――自分で自分を義と認める――の状態であり、カトリックのプロテスタント批判の言葉をそのまま借りれば、「万人が自己を法皇だと「主張」して最終的には収拾かつかなくなる状態だということになる。この自己義認の典型的な表れ方は、まず、絶対者に自己を同定し、その上で、日本の新聞の論説のように「右も悪いが左も悪い、ああも言えるが、こうも言える」と言いつづける状態である。
 いうまでもなくこの言葉には、言われざる前提と結論があり、それを書き加えると、次のような形になる。「私は正しい、その正しい私から見ると『右も悪いが、左も悪い』、そして、そう言っている私は正しい。その正しい私から見ると『右も悪いが、左も悪い』、そして・・・」の循環論理になっているわけである。
 この循環論理の中から『 』内と挿入部を除くと(この挿入部には、その時々によって、どんな文章を入れてもよい)、この文章は「私は正しい、私は正しい。私は正しい・・・」の連呼かお題目のようになり、言っていることは、実は、はじめから終りまでそれだけなのである。これがすなわち「自己義認」――いわば他の題材を「ダシ」にして、自分で自分を義と認めつづけ、そう主張しつづける状態、すなわち「自己無謬」を主張しつづけている状態なのである。

プロテスタント病の典型――アメリカ
 だが、こう主張しつづけると、その社会はどうなってしまうのであろう。簡単にいえば「私は正しい、社会は悪い」と全員が主張し、「無謬者の集合で構成された社会は悪」という奇妙な結果になって社会的統合は崩壊してしまう。これがいわゆる「プロテスタント病」であり、プロテスタントが、言論の自由が保証される民主主義社会が、内包する症状の一つであろう。簡単にいえば社会の全員が”知識人党”か、知識人党への自己同定者になってしまった状態である。
 もちろん、プロテスタントには、以上の批判に対して反論がある。プロテスタンティズムとは元来、「信仰義認」の世界であり、「自己義認」の世界ではないという主張――簡単にいえば、無謬性をもつ人間は皆無であり、「人は生まれながらにして罪人」であり、従って「義人なし、一人だになし」であって、この聖書の言葉を前提とし、「人が義とされるのは、(これらの言葉への)信仰のみにある」と規定された世界である、と主張する。
 もちろんその主張は正しいのであろう。しかしこの主張により自己義認の連鎖が打ち破れるのは、それがカトリックとの緊張関係にある場合に限られる。これはプロテスタントが、いわば「カトリカトリックの野党的批判者」として生まれ、従ってその位置にいるときにその健全性を保持しうるわけで、その歴史からいってもそれが当然である。
 しかし、プロテスタントがその緊張関係を失いやすい環境に置かれた場合、いわばそれのみで社会の主流となったアメリカのような場合は、当然にプロテスタント病的症状は強くなる。世界に対するアメリカの自己義認的状態は、一つ一つその症例をあげる必要はあるまい。しかしこれが、さらに「緊張関係」という伝統から全く切り離されて、東アジアの儒教圏に来た場合はどうなるか。日本・南朝鮮またかつての南ベトナムなどは、その実験場のような有様になってしまうのである。

 
   
歴史的対象把握による正統・異端論争の克服
『存亡の条件』山本七平(p168~170)
(聖書)はあくまでも歴史的文書であり、イエスは、過去において史上に存在した一人物として把握し、その歴史的な一人物を歴史的背景のもとに捉えて、自己はその歴史的対象と、相対して、現在の自己の歴史位置でそれを把握しなければならないのである。てしてそのように把握させるため。あらゆる記述は常にその歴史性が強調される。
 この伝統はもちろん旧約聖書からの伝統であって、人は常にそのような把握をしないと、あらゆる対象は結局、臨在感的把握の対象か、もしくはその把握の手段と化してしまうのである。お経を読むのは典型的な一例であろう。
 だが、わが国にはこういう伝統はなく、日本の異端はむしろ逆であって、臨在感的把握の対象に「歴史」をもち込むことを禁ずる形になっている。前にこのことを熱心さで知られる仏教のある派に話したところ、「歴史的説明などをされたらシラけてしまって、到底信心などはできなくなる」ということであった。従って、正統・異端の規定はむしろ逆転しているといえる。

日本的な〈正統・異端〉考
 こういう問題は是非善悪の問題ではないが、もしわれわれがこれを克服しなければならないなら――もちろん、鎖国して、文化的衝撃を防いでいけるならその必要はないが、これらの点を一体われわれは、どう克服すべきであろうか。
 これがプロテスタント社会なら、問題は非常に簡単であるともいえる。というのは一人の人間をたとえば「善悪という対立概念」で把握する場合、そこには、善人も悪人もいなくなり、すべてが「善悪人」になってしまうからである。
 「人間はすべて罪人である」というプロテスタントの命題は、日本では徹底的に拒否されるが、もし人を対立概念で把握すれば、ここにいるのは各人は。「聖罪人」であっても、「聖人」も「罪人」もいないという結果になるからにほかならない。
 従って、一切の人間は、相互に「自分、は正しい」ということを許されず。その上でなお「自分は正しい」と仮定し、言論の自由はすべてその仮定の上に立っているからである。
 従って、ある日本の評論家が「多数決が正しいという証拠はない」とか「真理は少数にあり」とか言ったことを、彼らは非常に驚く。絶対的な「正」というものが存在しないから「多数決原理」があり、多数決と少数の存在を対立概念で捉えているから、それは実体が捉えられているわけであって、絶対的な「正」があるなら、多数決はもとより必要としない。それは論証の世界であり、幾何学の証明や事実の有無は、対立概念で把握すべき対象ではないから、もとより多数決の対象ではありえない。ところがこのわかり切ったことが、日本では通用しないのである。
 いうまでもないことだが、たとえば政治における与党と野党は、各人の中にある「与党性と野党性」が、数に還元されて表現されているにすぎないはずである。これを逆に見れば、与党の中には党内野党があり、その党内野党の中にまた野党かあり、その中にまたそれの野党があるという形になっていて、最終的には各人内の「与党性と野党性」の中に還元されてしまう世界のはずである。
 人間ことごとく罪人という言い方をこれにあてはめれば、すべての人間は野党性をもち。「義人なし、一人だになし」を援用すれば、「完全与党人なし、一人だになし」の世界のはずである。
 人がもしこの前提を崩して、与党なり野党なりを臨在感的に把握してこれを絶対化したら、それは、伝統的な日本的「善玉・悪玉」の世界になり、全体を対立概念で把握できなくなるだけでなく、与野党のそれぞれをも、対立概念で把握せずに絶対化しなければならなくなる。
 またそういう見方で世界を見ていけば、世界もそのように見え、企業を見れば企業も、公害を見れば公害も、すべてそのように見えてしまうであろう。そして、対象を臨在感的に把握し、その把握を絶対化すれば、それは物神となり、今度は逆に自分はこの物神に支配されて動きがとれなくなってしまう。これか、日本において、戦前・戦後を問わず、常に起こっている現象である。そして人はその被拘束現象を苦々しく思いつつも、これから逃れることはできないのである。
 
   

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