移   転   塔   婆

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近世の喪失塔婆

移 転 塔 婆

移転時期

移  転  先

備     考
京洛一条大宮三重塔 治承2年(1178) 山城浄瑠璃寺、国宝。 元の寺名は京洛一条大宮世尊寺ともいわれている。
元地の推定は現状では不可。
近江長寿寺三重塔 天正4年(1576)頃 近江總見寺、重文。 元地:礎石現存。
大和吉野比曽寺東塔
 (世尊寺)
慶長6年(1601) 近江園城寺(三井寺)、重文。 元地:塔土壇・礎石現存。
山城仁和寺五智山多宝塔 万治2年(1659) 大和久米寺、重文。 元地の推定は現状では不可。
出雲杵築大社三重塔
     但馬妙見三重塔
寛文5年(1665) 但馬帝釈寺日光院、重文。
(但馬妙見三重塔)
元地:未確認ですがおそらく全く消滅と推定される。
なおこの塔は明治の神仏分離で現在は名草神社所有となり名草神社三重塔と云われるが、正しくは妙見三重塔と云うべき塔婆である。
紀伊野上八幡宮多宝塔 明治初頭
昭和12年
明治初頭に和歌山松井氏に流失
→昭和12年に大和東南院
野上八幡宮跡地:
推定可能であるが、更地となり、痕跡なし。
紀伊広八幡宮多宝塔 明治初頭
大正中期?
昭和8年以前?
昭和26年
紀伊勝楽寺で創建?
→元禄年中広八幡宮
→明治初頭紀伊法蔵寺
→大正中期?泉南郡下荘村(箱作)某家邸
→昭和8年以前?移転?
→昭和26年安芸三滝寺
広八幡宮跡地:塔敷地・土壇残存。
法蔵寺跡地:推定可能。但し塔跡はなし。
箱作:未訪問で不明
信濃神光寺三重塔 明治3年 信濃貞祥寺。 元地:塔基壇が現存。神光寺は廃寺。
美濃南宮大社三重塔 明治4年 美濃真禅院、重文。 元地:塔跡は消滅しおそらく推定も不可。
摂津住吉神宮寺西塔 明治5年 阿波切幡寺、重文。 西塔:現存。東塔:神仏分離で明治6年取壊。
淡路竜宝院二重宝塔 明治5年 淡路蓮光寺ニ層堂。 竜宝院は廃寺、跡地には国瑞彦神社が建立という。
伊賀浄瑠璃寺三重塔
(開化寺あるいは長谷川邸)
明治8−11年頃か 伊賀浄瑠璃寺で創建
→明治8−11年頃か伊賀開化寺
→大正2年神戸久原邸
→昭和12〜15年頃長谷川邸
浄瑠璃寺跡地は残存、塔跡はまったく消滅。
開化寺元地には同型の三重塔が新造され現存。
播磨明王寺多宝塔 明治33年 明治33年川崎邸
→昭和13年攝津徳光院、重文。
元地:明王寺塔跡平坦地現存。
播磨無量寿院多宝塔 明治後半? 明治後半?東京原邸
→昭和8初期東京藤原邸
→昭和39年東京よみうりランド。
無量寿寺:塔跡は消滅。
播磨高蔵寺三重塔 明治43年 山城三室戸寺。 元地:塔土壇を潅木中に残す、礎石1個残存か?。
山城燈明寺三重塔 大正3年 横浜三渓園、重文。 燈明寺は廃寺。元地:塔跡は現存するも何の遺物もなし。
旧高野山光台院 大正5年 大阪藤田美術館。 元地:同型の多宝塔が建立され現存。→高野山光台院
大和円成寺多宝塔 大正6年 鎌倉長寿寺観音堂。 元地:老朽化取壊。平成2年多宝塔再興。
安芸竹林寺三重塔 大正14年 東京椿山荘。 元地:塔跡は破壊、跡地は露座の阿弥陀仏台座で破壊。
大和長弓寺三重塔(初層) 昭和11年 東京プリンスホテル。 元地:塔跡現存。
阿波太竜寺三重塔 昭和34年 伊予興願寺。 元地:塔基壇現存。相輪塔建立。
攝津永福寺多宝塔
 (畑山神社)
昭和35年 狭山山不動寺第1多宝塔(東塔)。 元地:塔跡現存。多宝神社なる意味不明の祠があり攪乱。
播磨掎鹿寺多宝塔 昭和42年 狭山山不動寺第2多宝塔(西塔)。 元地:ほぼ原形を残す。記念?石造塔建立。
大和富貴寺三重塔(塔堂) 昭和46年 法隆寺羅漢堂、重文。 昭和9年解体、昭和46年法隆寺に寄進されて再建。
元地:塔堂を残す。

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