美 濃 南 宮 山 (金山彦神社) ・ 真 禅 院 三 重 塔

美濃南宮山(金山彦神社)・真禅院三重塔

南宮山古絵図

◆南宮社古図:国立歴史民俗博物館:江戸期

南宮社古図

南宮社古図部分図

 

2012/01/01追加:
南宮社は東面する。三重塔は南宮社廻廊の西南隅南に描かれるも、実際の三重塔跡は廻廊の西南隅北に残る。
また、東照宮なども、実際は、南宮社南門を出てさらに西に進んだ、図で描かれるより、さらに西寄りの山麓に位置する。

◆木曽路名所図会:文化2年(1805)刊

巻之2:南宮金山彦神社:南宮山:左図拡大図
仏堂としては
護摩堂・本地堂(無量寿仏・勝軍地蔵・多聞天・十一面観音・不動尊を安ず。・・天平11年行基菩薩の草創なり、法体殿南神宮寺と号す)・元三大師堂・三重塔・釈迦堂・十王堂・地蔵堂・鐘楼等が存在する。
○2012/01/01追加:
三重塔・本地堂など諸伽藍は、南宮社に向かって左手(南奥)にあるように描かれるも、実際は南宮社の左手奥(西奥)にある。
廻廊の南門を出て、廻廊南に石階があるのは正確であるが、三重塔などは、石階の南ではなくて、西側に上り傾斜を持って配置される。
また三重塔の隣に本地堂が描かれるも、実際は東照宮があったものと思われる。

2006/02/04追加:
◆美濃国南宮社之図:江戸後期
「慶応義塾図書館所蔵江戸時代の寺社境内絵図 下」 より:絵図は江戸末期のものと推定される。

美濃国南宮社之図:左図拡大図 :正行院蔵か
本社を中心に南側には南神宮寺、さらに多くの堂宇・坊舎が存在する。
ここでも、本社および神宮寺を中心にした一山多院制寺院が成立していた様子が覗える。
本社の南に大日塔(三重塔)があり、真禅院は本社北側にある。

美濃国南宮社之図(真禅院部分図)
本社北側道路沿いに真禅院が描かれる。

美濃国南宮社之図(大日塔部分図)
本社内に本地堂、すぐ外に三重塔があり、その他東照宮、元山大師、薬師堂、十一面観音堂、千手観音堂、寶蔵?院、鉄塔(本社南にある)、威徳院、正行院、知足院、大慈寺、元上院、 常林坊、その他の社僧、多くの堂宇がある。

2012/01/01追加:
上図でも三重塔は南宮社廻廊の西南隅南に描かれるも、実際の三重塔跡は廻廊の西南隅北にあり、また、東照宮なども、実際は、南宮社南門を出てさらに西に進んだ、図で描かれるより、さらに西寄りの山麓に位置することは、上述のとおりである。

2008/03/12追加:
◆南宮図:「美濃明細記」伊東實臣著・宮勝光保[写] 、天明6年(1786) より
 南 宮 図:古代は山の麓今塔の有る所本社鎮座寛永以来山下遷座 とある。
  本社左に本地堂、右に護摩堂などを配置する。

南宮山三重塔跡

2010/10/29追加:「重要文化財真禅院三重塔修理工事報告書」昭和59年 より
 三重塔跡:明治の移建に際し、「礎石関係も全て運び出されたものと思われ、南宮社境内後方の旧所在地は跡形もなく整備され、今はかっての塔の所在を示すものとして石碑が建つのみとなっている。」

2011/12/24撮影:
 南宮山山上への参道入口:南宮社南門(写真)を出て、西向きに石階があり、これが南宮山上への参道である。
石階を上り、向かって右すぐに南宮山三重塔跡がある。
現真禅院三重塔跡は上記の「・・・修理工事報告書」のとおりである。さらに悪いことに付近が工事中ということもあり、伐採した樹木が置かれ、全く打ち捨てられた状態である。
 南宮山三重塔跡1     南宮山三重塔跡2     南宮山三重塔跡3     南宮山三重塔跡4

-----以下は2002/08/12訪問時の記事であるが、三重塔跡地を誤認している。-----
 □三重塔跡:大社向かって左奥(南)に本地堂、三重塔があったと思われる。
 現地は更地あるいは民家になり、全く痕跡、面影は全くない。
  神宮寺想定地1  神宮寺想定地2
 ただし、さらに奥に若干の平坦地をもつ社叢があり、今回は未探索であるが、あるいはこの場所が塔跡であった可能性もあるが、
 塔の建っていた場所の特定は出来ず。
-----2001/01/13訪問時の記事               -------------------------

真禅院三重塔

三重塔

三重塔:
寛永19年(1642)建立。総高25.38m。本尊大日如来。
昭和60年解体修理完工。重文。
2002/08/12撮影:
 美濃真禅院三重塔1
   同        2
   同        3
   同        4(左図拡大)
   同        5
   同        6
   同        7
   同        8
   同        9

2001/01/13撮影:
 美濃真禅院三重塔1
   同        2

2010/10/26追加:
「重要文化財真禅院三重塔修理工事報告書」昭和59年 より
昭和57〜59年半解体修理。
 真禅院竣工内部     真禅院竣工相輪
礎石は縦横75cm内外の大きさで、上面中央に径8cm深さ6cmの枘孔が掘られるが柱には枘が見られない。
椽束石は縦横45cm内外の大きさで、径6cm深さ5cmほどの枘孔が掘られるも、束にはやはり出枘はない。
 昭和11年頃三重塔

2011/12/24撮影:


美濃真禅院三重塔31
美濃真禅院三重塔32:左図拡大図
美濃真禅院三重塔33
美濃真禅院三重塔34
美濃真禅院三重塔35
美濃真禅院三重塔36
美濃真禅院三重塔37
美濃真禅院三重塔38
美濃真禅院三重塔39
美濃真禅院三重塔40
美濃真禅院三重塔41
美濃真禅院三重塔42
美濃真禅院三重塔43
美濃真禅院三重塔44
美濃真禅院三重塔45
美濃真禅院三重塔46
美濃真禅院三重塔47
美濃真禅院三重塔48

真禅院:明治維新以降現在は、南宮社西方約400mのところにある。朝倉山(天台宗)と号する。

朝倉山は
天平11年(739)行基の開基と伝え、自刻の阿弥陀如来を本尊とし、象背山宮処寺と号したと伝える。
天平12年聖武天皇、不破頓宮より宮処寺及び曳常泉へ行幸と云う(続日本記・日本記略)。
 ※寺伝では宮処寺を開創の地とすると云う。
この宮処寺はおそらく南宮社と関係を深め、南宮社を本社とする一山多院制寺院へ発展していったものと思われる。
具体的には、延暦年中、伝教大師勅を奉じて、南宮社と宮処寺とを習合、寺号を南神宮寺する。
文亀元年(1501)全山炎上。永正8年(1511)美濃守護土岐政房による再興工事竣工。
慶長5年(1600)関ヶ原の合戦で諸堂宇の大半が焼失。
戦後、南宮権現執行利生院橋本永純、寛永寺に再建を懇願、寛永16年(1639)徳川家光により、再建・造営が命ぜられ、同19年ほとんどの社殿・堂塔が復興される。
維新前には、真禅院をはじめ、南宮社を取り巻く多くの社僧があった。上掲「美濃国南宮社之図」など参照。

2008/03/12追加:「美濃明細記」伊東實臣著・宮勝光保[写] 、天明6年(1786)
 美濃明細記・宮代社僧:宮代社僧 天台宗 東叡山末
  利生院 十如院 真禅院 円乗院 常林坊 元上院 威徳院 知足院 (山上)千手院 (山上)宝珠院 (檀那寺)正行院 とある。
   ※正行院を除く十院を「南宮十坊」と称する。

◎明治の神仏分離:
南宮社執行真禅院秀覚法印が、村人の絶大な奉仕のもと、本地堂・三重塔・鐘楼等22棟の堂宇を統廃合して明治4年までに現在地に移建する。
蓋し明治の神仏分離(神仏判然)の時、自ら進んであるいは殆ど抵抗もせず還俗神勤し、堂塔や仏像・仏画・経典・仏器などを自ら進んであるいは手をこまねいて破壊あるいは売却に任せた寺院・僧侶が多い中で、 真禅院秀覚及び村人の「見識」には大いに敬意を払うべし。

現在以下の堂宇が移転・現存する。
○本地堂(重文):阿弥陀如来四十八願霊刹第34番札所、旧南宮大社本地堂、本尊無量寿如来(南宮神社本地仏)
 ※本地堂は、絵図類には、本殿左前に妻入の本地堂として描かれる。
○三重塔(重文):本尊大日如来、寛永19年9月11日再建
○観音堂:元宝珠院  ○薬師堂  ○護摩堂  ○弁才天堂  ○十王堂
○鐘楼:寛永19年9月11日再建
○梵鐘(重文)  ○鉄塔
2010/10/29追加:
 真禅院境内図:明治期と思われる。
  ※南宮山の由緒が語られる。
  ※2011/12/08追加:推測であるが、本図は「大日本名蹟図誌」(未見)に掲載のものではないであろうか。

◆真禅院本地堂(重文・本尊南宮山本地阿弥陀如来)

2001/1/13撮影:
 本地堂1
 本地堂2
 本地堂3
:左図拡大図

2002/08/12撮影:
 本地堂蟇股1
 同      2

2011/12/24撮影:
 真禅院本地堂11
 真禅院本地堂12
 真禅院本地堂13
 真禅院本地堂14
 真禅院本地堂15
 真禅院本地堂16
 真禅院本地堂17
 真禅院本地堂18
 真禅院本地堂19
◆真禅院鐘楼(寛永19年再建)

2002/08/12撮影:
 鐘      楼1:右図拡大図
 鐘      楼2

2011/12/24撮影:
 真禅院鐘楼11
 真禅院鐘楼12
 真禅院鐘楼13:右下は十王堂

◆真禅院高山観音堂
 高山観音堂・本地堂:右より高山観音堂、本地堂、護摩堂屋根、薬師堂屋根
 真禅院高山観音堂1:明治維新までは南宮社奥之院 (宝珠院と号す)と称し、美濃中山(現南宮山)の山上にあった。
  それ故、高山観音と通称される。本尊十一面観音。
   ※美濃国南宮社之図(上掲)の山上(左上方)に宝珠院(十一面)、高山社などが描かれる。
 真禅院高山観音堂2:右に写る堂宇は聖天堂であろう。
◆鉄塔覆屋
 真禅院鉄塔覆屋:鉄塔(未見)を安置する。
鉄塔:北条政子寄進と云う。応永5年(1398)8月10日河内国高大路家久による鋳物とされる。
下幅百cm、鉄塔上層に菩提六体、下層に四天王像が鋳られていると云う。
◆2011/12/24現地にて
 ◎鉄塔レプリカ:
南宮社の元鉄塔位置に鉄塔レプリカが近年設置されたと思われる。
しかしながら、元鉄塔位置が判然とはせず、見つけることができず。(未見)神社職員に聞くも知らないと云う。
2012/01/25追加:
下掲「聖武天皇宮処寺境内碑2」のすぐ先に、「湖千海神社」の鳥居(背景の鳥居がそうであろう)があり、鳥居を少し上ると、湖千海神社の広場と小祠があり、その広場の一角に「曳常泉」の石碑が建つ。「曳常泉」は涸れているようであるが、その先に「鉄塔レプリカ」がある。
なお、湖千海神社の鳥居のちょっと先には「瓦塚」がある。
 ※この鉄塔レプリカのある位置は元鉄塔位置であると推定されるが、絵図類が大雑把で判然とはしない。
鉄塔レプリカの自前の写真がないので、右のサイトから転載する。 ※サイト:南宮大社 その7 湖千海(こせかい)神社
 鉄塔レプリカ
 南宮社鐵塔:「木曽路名所圖會 巻2」より

◆その他の諸堂
 真禅院境内1:左から最勝寺観音堂、釈迦堂、薬師堂、一番右は護摩堂が並ぶ。
 真禅院境内2:左から最勝寺観音堂、釈迦堂、薬師堂がある。
 真禅院護摩堂     真禅院薬師堂     真禅院薬師堂内部?
 真禅院釈迦堂1     真禅院釈迦堂2     真禅院釈迦堂内部     最勝寺観音堂:由緒不明、近年の建築であろう。
 真禅院十王堂        真禅院十王堂内部     真禅院庫裏

◆残存する南宮山寺坊

・宮代社僧大日山正行寺
南宮社南方に残る。※美濃明細記・宮代社僧(上掲)では(檀那寺)正行寺とあり、南宮山一山の葬儀を執行したのであろう。
 宮代社僧正行院参道     正行院山門・鐘楼     社僧正行院本堂     社僧正行院小宇
・八華山大慈寺
「大慈寺及延命地蔵菩薩縁起」では、当寺は室町期南宮社神馬供養の寺として創建されると云う。また南宮社十王堂(閻魔堂)・地藏堂の別当でもあった。地藏堂は 十坊の一つであった知足院門前にあったが、明治の神仏分離によって、現在地(大慈寺寺門脇)に移される。地蔵堂は安政3、4年の再建と云う。(地蔵堂の写真は無し)
なお、十王堂は真禅院に現存する十王堂であろうか。
 大慈寺全景     大慈寺本堂・鐘楼     大慈寺鐘楼
  ※美濃国南宮社之図(上掲)の左下付近に正行院、その北に知足院、さらに北に大慈寺が並んで描かれる。

南宮社社殿
二層門あるいは舞台などの社殿は仏堂建築そのものの意匠を持つ。
慶長5年(1600)関ヶ原の合戦の兵火で社殿は焼失。寛永19年(1642)春日局らが願主となり、徳川家光によって再建される。
2002/08/12撮影:
 美濃南宮大社1        同       2
2011/12/24撮影:
 美濃南宮社楼門1:重文     美濃南宮社楼門2     美濃南宮社楼門3     美濃南宮社楼門4     美濃南宮社楼門5
 美濃南宮社楼門6
 美濃南宮社舞殿1:重文     美濃南宮社舞殿2     美濃南宮社舞殿3     美濃南宮社舞殿4
  ※舞殿(高舞殿)は3間四方の建築で各間中備は十二支を彫刻した蟇股を配する。
 美濃南宮社拝殿1:重文     美濃南宮社拝殿2
 美濃南宮社本殿1:重文     美濃南宮社本殿2     美濃南宮社本殿3
 十禅師社・隼人社:重文:向かって左が十禅師社
 高山大神・南大神:重文:正面社殿が高山大神、南大神は 向かって左に微かに見える、向かって右は本殿
 美濃南宮社廻廊1:重文、2棟     美濃南宮社廻廊2
東照宮は現存するも、祠程度のものとなる。現地には枘孔を有する礎石・延石などが整然と残る。
 南宮山東照宮基壇     南宮山東照宮社殿跡1     南宮山東照宮社殿跡2     現南宮山東照宮社殿
聖武天皇宮処寺境内碑:「日本書記」記事(天平12年(740)12月2日、 聖武天皇、不破頓宮より宮処寺及び 曳常泉へ行幸)の地は南宮社神宮寺の地であると云う説によって建立されたものと思われる。
建立の主体・年紀は未確認、本碑は「南宮山山上への参道入口」(上掲)の石階を上ったすぐの場所にある。
 聖武天皇宮処寺境内碑1:天皇行幸元本殿・宮処寺・曳常泉・旧境内
 聖武天皇宮処寺境内碑2:聖武天皇大仏建立勅願所
  →美濃宮処寺(みやこてら)

なお、現南宮社には建造物として、上記以外に、以下の重文建造物があると云うも、未見もしくは写真なし。
幣殿(どの部分を云うのか良く分からない)、勅使殿、神輿舎、神官廊、輪橋、下向橋、石鳥居、七王子神社本殿(本殿の後にあり見えない)


2006年以前作成:2012/01/25更新:ホームページ日本の塔婆