大 和 長 弓 寺 三 重 塔 ・  東 京 高 輪 プ リ ン ス ホ テ ル 塔 初 層

大和長弓寺三重塔・東京高輪プリンスホテル塔初重

大和名所圖會 寛政3年(1791)刊より:
 長弓寺:名所圖會に挿絵はなし。
  「『大和社寺記』に曰く、聖武帝の御建立。いにしえは七堂伽藍の霊地なれども頽廃して、本堂1宇、本尊十一面観音。
  塔1基、大日如来を安置す。・・・坊舎8宇。真言宗なり。」

長弓寺には本堂(国宝)と同時代と推定される「三重塔」が存在していた。
塔の二重三重は早くから失われ、近世には初重だけ残っていたとされる。
昭和11年寺を出て転々として、昭和29年東京高輪プリンスホテルに移築される。
(現在も東京高輪プリンスホテルにあり、大切に保存され公開もされる。)
 ※昭和9年第1次室戸台風で、境内巨木が倒れ、本堂屋根を大きく破損、翌10年から11年にかけ本堂の解体大修理が行われたが、この修理の寺院負担金を補うため、「塔台閣」を売却と云う。

2013/03/11追加:
●明治13年「寺社什宝調」:奈良県行政文書
古建物宝物古器古書画目録/添下郡上村/真言宗 真弓山長弓寺

古建物之部
一、本堂 八間四面 屋根檜皮葺
  但人王45代聖武天皇の勅願により行基菩薩開基建立
一、塔臺閣 壱間半四面 屋根瓦葺
  但人王50代桓武天皇の御宇藤原朝臣良継公御建立
・・・以下省略・・・

次の絵図の添付がある。
 明治32年長弓寺建物之図: 左図拡大図
本堂、塔臺閣の絵がある。
鐘楼などの位置及び塔中薬師院、寶光院、圓生院、法華院、西福院の位置が示される。

2015/03/12追加:
長弓寺境内扇面図:奈良県立図書情報館蔵

 長弓寺境内扇面図・部分図: 左図拡大図
向かって右端に塔臺閣が描かれる。
塔臺閣は方3間堂で切目椽を廻らすように描かれる。屋根本瓦葺、宝形造で露盤・宝珠を載せる。

 長弓寺境内扇面図・全図

解説では、以下のように述べる。
 欠年であるが、明治20年代の石版であろう。
享保年中の「大和郡山藩郷鑑」によると、境内は東西6町、南北4町で、坊舎20軒(内10軒は坊舎は退転)という。
塔臺閣を上がれば、鎮守牛頭天王があり、図でjは旧鎮守とあるので、明治の神仏分離以降の作図であることには間違いない。
正徳5年(1715)の長弓寺年中行事には、修正会、修二会、常楽会、如法経会、若宮祭礼、大宮祭礼などが見える。
坊舎は、薬師院、円生院、宝光院、法華院が見え、断絶した坊舎として西福院趾、真言院趾が記入される。


大和長弓寺三重塔跡

2015/03/07撮影:
四天柱礎石4個及び脇柱礎石12個がおそらく原位置で完存する。(心礎はもともと存在しない。)
束石も存在するが、殆どが原位置を動き、ばらばらに散在する状態と思われる。
塔は南面し、その正面に据えられた一番大きな石は沓脱石であろう。但し、この沓脱石が当初からのものなのか、後世に新しく据えられたものなのかは分からない。
大和長弓寺塔跡現況:四天柱礎石/脇柱礎石

塔一辺はおよそ3.8mを測る。(実測)
中央間は5尺(150cm)、両脇間は3尺8寸(115m)で
合計12尺6寸(380cm)。
 ※東京高輪プリンスホテル所在三重塔初層の一辺は
  3.69mと報告されるので約10cmの誤差がある。

黄色□印は四天柱礎石、○印は脇柱礎石

 長弓寺塔跡礎石(南より):左図拡大図
 長弓寺塔跡礎石(北より)
 長弓寺塔跡礎石(北西より)
 長弓寺塔跡礎石(北西より)2
 長弓寺塔跡礎石(南より)2
 長弓寺塔跡礎石(南より)3
何れにせよ、四天柱礎石/脇柱礎石は原位置に完存する。

上記の写真は全て黄色の印がついているが、黄色い印のない写真は次の通り。
長弓寺塔跡礎石(南より)   長弓寺塔跡礎石(北より)   長弓寺塔跡礎石(北西より)   長弓寺塔跡礎石(北西より)2
長弓寺塔跡礎石(南より)2   長弓寺塔跡礎石(南より)3

大和長弓寺塔跡現況:束石

黄色△印は束石、□印は四天柱礎石、○印は脇柱礎石であるのは同じである。

 塔跡束石(西側):左及び手前に点在する束石はいずれも原位置を動くと思われる。
 塔跡束石(東側):手前2個の束石も原位置を動くと思われる。▽印 を付けた2個の束石も極端に脇柱礎石に近く、原位置ではない。
塔跡束石(北東より):左図拡大図:左の2個の束石及び中央右の1個の束石は原位置を保つと思われる。中央やや左の上の束石は左右いずれかの矢印の先の位置が原位置と推定される。また右やや上に写る束石も矢印の先の位置が原位置と推定される。
塔跡束石(北西より):3個の束石を矢印の先に移動させれば、そこが原位置と思われる 。
塔跡束石(北西より)2:多くの束石が写るが全て原位置ではないと思われる。

上記の写真は全て黄色の印がついているが、黄色い印のない写真は次の通り。但し2枚だけ掲載。
 塔跡束石(北東より)     塔跡束石(北西より)

○異質な2個の束石について
 長弓寺塔跡束石:写真手前に正方形に加工し、表面を削平し、その中心に、1個の束石は四角の、もう1個の束石は円形の、枘孔を穿つ「束石」が2個残存する。 この形状は近世初期に使われた束石に良く似ている。
他の束石は自然石に近いものであるが、この束石だけは精密に加工され異質のものである。
従って、この2個の束石は本来この塔婆の束石ではないと思われる。万一束石としても、その位置は余りに脇柱に近すぎ、到底原位置ではない。おそらくこの規模の塔では椽は4尺前後の出巾を採るものと思われる。
 塔跡束石1(角孔)     塔跡束石2(円孔)

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2007/10/13撮影:
◆大和長弓寺塔跡概要1:南から撮影

 大和長弓寺塔跡1:上図と同一写真
 大和長弓寺塔跡2:塔跡1とほぼ同一アングルの写真:写真中央の右端の礎石は不 マル4である。

・心柱は初重梁上から建っていたようであり、心礎石は無いと思われる。
・写真;四マル1〜四マル4は四天柱礎
・写真:マル1〜マル12は側柱礎
・写真:◇印は縁束石と思われる
・南側?印の4個は不明(形状大きさは椽束石とも思われるも、位置が離れている)
 不マル3、不マル4が縁束石の位置にあり、その形状も束石の形状と思われる。)
・写真:不明マル2は塔正面の踏石とも思えるも、不明。不明マル1は全く用途不明。
・写真:マル3、不明マル4:縁束石と思えるも(位置・形状)、この形状はこの2個だけで、他に縁束石と思われる礎石が多数現存するが、それらは自然石である。

◆大和長弓寺塔跡概要2:南から撮影・塔跡の東部分

大和 長弓寺塔跡3:下図と同一写真

写真の番号・記号は上掲(塔跡1)と同一

◆大和長弓寺塔跡概要3:北西から南東方向を撮影

大和 長弓寺塔跡4:下図と同一写真

写真の番号・記号は上掲(塔跡1)と同一

大和長弓寺塔跡5:正面建物(薬師院)の中央背後と後の丘の間に塔跡がある。

2007/10/22追加:2007/10/13撮影
 大和長弓寺塔跡11:東北方向から西南を撮影
 大和長弓寺塔跡12:西側柱礎:北から南を撮影
 大和長弓寺縁束石1?:上記の「不 マル4」の束石。形状及び位置から束石と思われるも、この2個だけこの形状であるのは不審?
 大和長弓寺縁束石2?:上記の「不 マル3」の束石。 同上。


2002/11/24追加
「長弓寺の旧三重塔」津田誠(「史迹と美術」40(9)、1970.11 所収) より
 高輪美術館(西武の経営という)に以下の書類と写真1葉が保存されている。
●「(奈良県正蓮寺大日堂修理事務所 現場主任)松本才治 から 染井勝宛 文書(染井氏は西武の堤氏愛顧の宮大工)」
その要旨:「長弓寺三重塔は本堂と同年代の建築と思われ、荒廃して初層のみ残っていたが、昭和10年本堂修理工事の寺院負担金の一部に充当するため、ある人の世話で鎌倉の前山久吉氏に譲渡され、奈良の宮大工が鎌倉で移建補修し、前山氏は「長弓堂」と名づけたと聞いている。」
前山氏は三井の番頭であったという。
もう一通は
●「(元奈良県寺社兵事課長)福田善四郎 から 染井勝宛 文書」
その要旨:「右寺院の三重塔台閣については現場主任松本才治の回答に相違ないことを認める。」
●一様の写真には高輪プリンスホテルの観音堂写真を背にして一人の男性が写っているもので、裏面に
「写真の塔の台閣は真弓山長弓寺にありしものであることを証明します。    長弓寺住職 岡崎良海」とある。
 以上は西武鉄道への譲渡直後のことと思われるが、いずれも年紀がないので、プリンスホテルへの譲渡時期は不明であるが、中西亨氏は昭和29年とする。ちなみに「正蓮寺大日堂修理工事報告書」奈良県教育委員会は昭32年に刊行されているので、昭和32年の少し前であることは間違いないと思われる。
 前山氏は塔購入後、奈良の大工の手で、鎌倉太刀洗?に移築補修する。
戦後前山氏没後、西武鉄道堤康次郎氏に売却され、堤氏の手で高輪プリンスホテルに移建される。


大和長弓寺概要

 富雄川の上流の山里に位置し、宅地開発が進む中、この一画だけは別世界で、長弓寺は今なおひっそりと佇む。
現在、「塔台閣」(三重塔初重)は売却されるも、鎌倉期の本堂(国宝、弘安2年<1279>再建、桁行5間梁間6間・正面1間は向拝付き・桧皮葺)を残す。
2007/10/13撮影:

○大和長弓寺本堂(国宝)

大和長弓寺本堂1
 同        2
 同        3:左図拡大図
 同        4
 同        5
 同        6
 同        7
 同        8
 同        9
 同       10
 同       11
 同       12
 同       13
 同       14
 同       15
2001/03/24撮影:
 大和長弓寺本堂1

  同        2

  同        3

  同        4

2015/03/07撮影:
 長弓寺本堂31     長弓寺本堂32     長弓寺本堂33     長弓寺本堂34     長弓寺本堂35     長弓寺本堂36
 長弓寺本堂37     長弓寺本堂38     長弓寺本堂39     長弓寺本堂40     長弓寺本堂41     長弓寺本堂42
 長弓寺本堂43     長弓寺本堂44     長弓寺本堂45     長弓寺本堂46     長弓寺本堂47
 長弓寺大師堂      大師堂内部
 長弓寺鐘楼        長弓寺宝蔵

2013/06/24追加:
「大和志料 上巻」奈良県教育会、大正3年:
 長弓寺境内坊舎祠堂之圖
寺中に實光院、圓生院、法花院、薬師院があり、廃坊として惣門北に脇之坊跡、西の坊跡、尾崎坊跡及び真言院跡、西福院跡があり、圓生院西に實光院跡(今宝光院地蔵堂のある場所か)、實光院北に福壽院跡がある。さらに惣門からの参道南に薬師院跡、竹之坊跡、前之坊跡、浮動坊跡、圓觀坊跡があり、薬師院南に薬師院跡、浴室跡、地蔵院跡、正覺院跡、薬師院東に東光院跡がある。

以下、△は2007/10/13撮影、無印は2015/03/07撮影:
 △大和長弓寺山門     長弓寺山門2     長弓寺山門3
 山門より山内を望む:向かって左の空地は西福院跡、その向こうの区画は真言院跡

かっては20坊あったと伝えられるも、現在は「山内の4院(薬師院・円生院・法華院・宝光院)」で管理される。
 推定西福院跡     推定真言院跡;背後中央の白壁の寺院は山内法華院
 △山内宝光院地蔵堂:この堂の由来は不明、法華院奥の宝光院は現在退転している。
 宝光院地蔵堂2     宝光院地蔵堂3:この地蔵堂のある地は、おそらく宝光院が本堂の西南に移転した結果、かっての宝光院の跡地で、地蔵堂のみ跡地に残った故に、宝光院地蔵堂と称するのであろうと 勝手に推測する。
 △山内法華院     山内法華院2     山内法華院3     山内法華院4
 山内推定僧坊;法華院西北に僧坊と思われる建物がある。屋根の構えなどから普通の民家とは思えない。どういう施設なのかは全く不明であるが、例えば、現在宝光院は退転しているが、その宝光院が移転しているとかの事情があるからなのであろうか。
 山内宝光院跡1     山内宝光院跡2:現在宝光院堂舎は退転している。
 参考:長弓寺境内図(部分):2001年以前より境内2個所に掲示されている境内図。ここによれば、宝光院は入母屋造の本堂一宇のみからなる坊舎であり、他の坊舎が構える山門も塀も無かったようである。
 △山内円生院     山内円生院2     山内円生院3     山内円生院4
 △山内薬師院      山内薬師院2     山内薬師院3     山内薬師院4     山内薬師院5     薬師院別館
鎮守牛頭天王:
明治5年神仏分離の処置で、鎮守牛頭天王(大宮牛頭天王、若宮八王子)をイザナギ神社として分離する。
 鎮守牛頭天王拝殿     鎮守牛頭天王本殿1     鎮守牛頭天王本殿2


東京高輪プリンスホテル所在三重塔初層

保存状況及び保存環境は良好と思われる。

旧大和長弓寺三重塔初層1(左図拡大図)
  同            2
  同            3
  同            4
  同            5
  同            6
  同            7
  同            8
  同            9
  門・鐘楼        10

中央間扉は開放され、ガラス(もしくはアクリル板様なもの)が嵌められ、そのため、そのガラスに前景の木々が写る。

純和様の堂々たる初層が残る。
組物以外の大部は新材に取り替えられていると思われるも、組物は旧材を残し、塔初層の様相をほぼ完全に残す。
軒の出も深く、単層の堂として見ても堂々たる風格を持つ。
 なお様式上、本堂と同一時期の鎌倉中期(弘安8年<1285>頃)の建築とされる。一辺3.69m。
内部には四天柱および来迎壁、真言八祖像などの絵画を残すと云う。

昭和中期のプリンスホテルの堂宇

高輪プリンスホテルは2003年に50周年を迎えた と云う。(展示50周年記念展示パネルに雪景色の写真パネルがある。)
長弓寺塔初層の他に、門・鐘楼も移築され現存する。
 ※鐘楼:明暦2年(1656)の建立、昭和34年奈良市念仏寺より移築されるという。
 ※山門の由来は不明という。

昭和34年頃の雪景色(塔初層・鐘楼・門)
50周年記念展示パネルを撮影

昭和28年頃の鐘楼・門
プリンスホテル・パンフより

昭和36年頃の鐘楼・門
プリンスホテル・パンフより


2006年以前作成:2015/03/12更新:ホームページ日本の塔婆