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シュテーケル



 すでに忘れ去られてしまった精神科医ヴィルヘルム・シュテーケルです。サリンジャーの「キャッチャー・イン・ザ・ライ(ライ麦畑でつかまえて)」に引用されたことで、かろうじて忘却を免れているのかもしれません。彼はもともと精神分析のフロイトのサークルに一時期出入りしましたが、その独創性のために決別することになります。最後はみずから生命を断ちます。糖尿病からくる下肢の壊疽と、その痛みに耐えかねてのことでした。フロイトと決別したショックで自殺したのではないようです。
 似たような境遇にあったアドラーやユングはよく知られており、多くの著書が日本語で読めるようになりましたが、シュテーケルの著書はほとんどまったく訳出されずじまいです。「性の分析」が古書で出回るくらいです。戦前は彼の精神分析技法書や、世界中で読まれたらしい育児書"A Primer for Mothers"の訳書があったらしいのですが、もはや入手困難であると思います。
 彼は「散歩療法」も行いました。自宅付近の緑の中をクライエントと歩いたりして、自然体でやっていたようなのです。散歩療法といえば、日本だと現象ガク的精神病理ガクの松尾正先生が有名ですが、シュテーケルはその元祖なのかもしれません。
 以上、札幌・江別の「のっぽろカウンセリング研究室」でした。シュテーケルは実に面白いです。多くの方々が、彼を発見しますように。

 まず彼について簡単に紹介し、末尾で彼のポリフォニー論について詳細に述べます。以前、勤務先の心理臨床センター紀要に書いた文章です。


[ヴィルヘルム・シュテーケル Wilhelm Stekel]

 多作な方で、カウンセリング・心理療法関連の膨大な著書・論文を残しました。ここには英訳書と和訳書のみ掲載します。私が自分で所有する著書なのですが、もしかすると英訳書は他にもあるのかもしれません。
 シュテーケルは様々な視点から論じることのできる臨床家です。しかし、ここでは「ポリフォニー」の一点に絞って述べたいと思います(1950年の自叙伝はぜひ読んでください。黎明期のフロイト精神分析のことがよく分かります)。
 私が思うに、多声性・ポリフォニーのカウンセリング・心理療法の元祖はシュテーケルです。1924年の論文「思考のポリフォニー」"Polyphonie des Denkens. Fortschr. Sexualwiss. und Psa., 1, 1-16." は独創的です。バフチンに先立って、音楽的な視点から人間の思考について理解しているのですが、これにはラパポート (David Rapaport trans (1951)chapter 14 of Organization and Pathology of Thought, Columbia University Press) の英訳(抄訳)があります。また、彼の1929年の英訳 "Sadism and Masochism 1" の第一章は、この論文がそのまま収められたもののようです。加えて、1943年の英訳 "The Interpretation of Dreams 1" には、ポリフォニー論の視点から行われた見事な夢解釈が収められています。
 いまのところ、私は自己欺瞞とポリフォニーの関連について考えるために彼を参照した論文を書いただけです。けれども、彼はそれに留まらないアイデアの宝庫であると思います。かつて哲学者のサルトルが彼を読んだように(「存在と無」の自己欺瞞の章)、多くの臨床家に読み継がれるべき大物臨床家であると思います。



「性の分析: 女性の冷感症Ⅰ、Ⅱ」 松井孝史、三笠書房、1956

The Beloved ego: foundations of the new study of the psyche. Moffat., 1921

Sex and Dreams: The language of dreams. The Gorham Press, 1922

Disguises of love: psycho-analytical sketches. Kegan Paul, 1922

The Homosexual Neuroses. Physicians and Surgeons Book, 1922

The depths of the soul: psycho-analytical studies. Moffat, 1922

Psychoanalysis and Suggestion Therapy: their technique, applications, results, limits, dangers, and excesses. Kegan Paul, 1923

Peculiarities of Behavior: Wandering Mania, Dipsomania, Cleptomania, Pyromania and Allied Impulsive Acts. Vol. 1. Liveright, 1924

Peculiarities of Behavior: Wandering Mania, Dipsomania, Cleptomania, Pyromania and Allied Impulsive Acts. Vol. 2. Liveright, 1924

Frigidity in woman: in relation to her love life.Vol.1. Liveright, 1926

Frigidity in woman: in relation to her love life.Vol.2. Liveright, 1926

Impotence in the Male: The psychic disorders of the sexual fuction in the male.Vol.1. Liveright, 1927

Impotence in the Male: The psychic disorders of the sexual fuction in the male.Vol.2. Liveright, 1927

Sadism and masochism: the psychology of hatred and cruelty,vol.1. Liveright, 1929

Sadism and masochism: the psychology of hatred and cruelty,vol.2. Liveright, 1929

Sexual Aberrations: The phenomena of fetishism in relation to sex. Vol.1. Liveright, 1930

Sexual Aberrations: The phenomena of fetishism in relation to sex. Vol.2. Liveright, 1930

A Primer for Mothers. The Macaulay company, 1931

Marriage at the crossroads. W. Godwin, inc., 1931

Twelve essays on sex and psychoanalysis. Eugenics Pub. Co., 1932

The interpretation of dreams: new developments and technique Vol.1. Liveright, 1943

The interpretation of dreams: new developments and technique Vol.2. Liveright, 1943

Bi-Sexual Love. Emerson Book, 1946

Compulsion and doubt: (Zwang und Zweifel) Vol.1. Liveright Pub. Corp., 1949

Compulsion and doubt: (Zwang und Zweifel) Vol.2. Liveright Pub. Corp., 1949

Conditions of Nervous Anxiety and Their Treatment. Liveright, 1950

Auto-erotism: a psychiatric study of onanism and neurosis. Liveright Pub. Corp., 1950

Technique of analytical psychotherapy. Liveright, 1950

The Autobiography of Wilhelm Stekel: The life story of a pioneer psychoanalyst. Liveright, 1950

How to Understand your Dreams. Eton Books, 1951

Patterns of psychosexual infantilism: Disorders of the instincts and the emotions; the parapathiac disorders. Liveright Pub. Corp., 1952





[
紹介]

抑圧、無意識、自己欺瞞

―シュテーケルのポリフォニー論―

 

田澤安弘 北星学園大学社会福祉学部福祉心理学科

 

 

.はじめに

 

 私(現在40歳代である)よりも古い世代の人たちは、ヴィルヘルム・シュテーケル(1868-1940)のことを詳しく知っているのかもしれない。けれども、私と同世代か、それよりも若い人たちは、おそらくシュテーケルの名前など耳にしたこともないはずである。最近になって、彼について論じた文献が現われ(Bos, J., 2003, 2005; Bos, J. and Groenendijk, L., 2004, 2006; Bos, J. and Roazen, P., 2007; Bullough, V.L., 2005; Clark-Lowes, F., 2001; Groenendijk, L.F., 1997; Kuhn, P., 1998; Marin, C. and Carron, R., 2002; Rudnytsky, P.L., 2006; Timms, E., Segal, N., and Stanton, M., 1988)、シュテーケル再評価の機運が盛り上がりつつあるのは、実に喜ばしいことである。

 末尾の「文献」に英訳書と邦訳書を列挙したが、シュテーケルの邦訳書は意外と多い。彼は、半世紀前には日本でもよく読まれていたようである。彼の名を世界的なものにしたのは、邦訳書もある一般向けの“A primer for mothers”である。具体的な数字を示すことはできないが、当時、世界数十カ国語に訳されたようである。また、分析の技法書も、早くに邦訳されていることは驚きである(未見であるが抄訳のようである)

 シュテーケルの言葉が引用されている有名な小説がある。サリンジャー (Salinger, J.D., 1951) の『ライ麦畑でつかまえて』である。主人公コールフィールドの先生であるアンソニーが、シュテーケルの「未成熟なるもののしるしとは、大義のために高貴なる死を求めることだ。その一方で、成熟したもののしるしとは、大義のために卑しく生きることを求めることだ」という一文を紙に書いて手渡すのである(村上訳, 24, pp312-313)。けれども、シュテーケルのどの著作にこの一文があるのか、いまだに私は発見することができないでいる。

 そのほかにも、学問的には「バイポラリティ」、「タナトス」、「ポリフォニー」、「身体化」などの概念や、フェレンツィやランクに先立つ短期療法のパイオニアであったこと、それからマスターベーションは有害ではないとしてフロイトと対立したことなどが知られているはずである。また、エランベルジェが『無意識の発見』で触れているので、少しだけ彼のことを知ることができるであろう。しかし、エランベルジェは、アドラー思想との類縁性を指摘するにとどまり、シュテーケルの独創性を評価しているわけではないようである。

 本論は、フロイトの抑圧と無意識の概念に異議を唱え、独自に発展させた、シュテーケルの思考のポリフォニー論について概説し、それがいわゆる自己欺瞞の現象に符合することについて言及するものである。精神分析学は自己欺瞞を主要なテーマとして研究してこなかったが、フロイトの言う意味での抑圧と無意識の概念が否定されるとすれば、精神病理について自己欺瞞の視点から理解する道が大きく開かれることになるのだ。

 

.抑圧、無意識、自己欺瞞

 

 妙木(1996)は、無意識という概念について、「弱い無意識仮説」と「強い無意識仮説」の視点から論じている。前者は、無意識について、今ここで見えていないものとして考えるものである。後者は、どこから見ても、どの時点でも、直接的には見えない到達不能なものとして考えるものである。つまり、弱い無意識仮説とは限りなく表層に近い無意識観を、強い無意識仮説とは限りなく深い無意識観を、それぞれ意味している。

 強い無意識仮説を代表するのはフロイトであろう。反対に、弱い無意識仮説を代表するのはシュテーケルであろう。治療論に関わる晩年の集大成である『分析的心理療法の技法』(Stekel, 1950b)のなかで、シュテーケルはこう述べている。すなわち「とどのつまり、患者はわれわれに対してだけでなく、自分自身に対しても役を演じる俳優であり、われわれの裏をかくことができるのかもしれないと認めなければならない。もちろん、フロイトは無意識という考えを信じ、無意識を意識化する唯一の方法は正統派の分析であるという自分の見解を信じていた。30年にわたる分析経験を振り返っていえば、もはや私は、そうした(フロイト派のいう意味での)無意識の絶大な意義を信じてはいない」である。

 こうした見解の対立は、精神分析史上いつからはじまったのであろうか。それは、私が考えるに、1908年に出版されたシュテーケルの『神経質性の不安状態とその治療』(Stekel, 1923b)に端を発するに違いない。ここですでにシュテーケルは、フロイトの抑圧と無意識の概念を否定しているのである()。フロイトはとても懐の深い人間であったようである。というのは、自分に対するこの批判の書に対して、序文を書いているからである。本書の第2章「抑圧の性質」から、早くもフロイト批判は始まる。すなわち

 

「最近の研究で確信したことだが、抑圧においては真の健忘があるというフロイトの仮説は、間違っていると思う。フロイトが言うには、抑圧とは『真実を見ることがそもそもできない』ということであるが、私に言わせればそれは『真実を見たくない』ということである。それは無意識ということではなく、前意識ということなのである。……神経症者は違う方向を見ており、そのことが『真実を見ることができないこと』の説明となるのだが、見たくないということはたいがい分析によって明らかになる。同じように多くの男性は、自分の妻が浮気していることを知りたいとは思わない。妻の不倫を示唆するような考えを、ことごとく抑圧してしまう。妻は浮気などしていないと自分は信じているのだと、最終的には納得することができるのである

 

 このように、彼はフロイトの言う意味での抑圧と無意識を否定している。前意識や下意識という言葉でも説明しており、この時点ではまだ独創性を欠いているのだが、抑圧と無意識の概念に代わる彼のモデルは、後に思考のポリフォニー論として提出されることになる。また、真実を見たくないことからくる「ふり」に着目していることは、彼が自己欺瞞の視点から患者のふるまいを見ていたことが理解されるであろう。「俳優としての神経症者」(Stekel, 1922c)という、ゴッフマンのドラマツルギー論に先駆けた論文も書いているほどである。

 

 

.思考のポリフォニー論

 

 シュテーケルは、『サディズムとマゾヒズム』(Stekel, 1929)の第1章「思考のポリフォニー」で、独創的なポリフォニー論を展開している(英訳書の出版は1953)。ポリフォニー論といえば、日本ではバフチン(Bakhtin, 1963)のドストエフスキー論がよく知られているのだが(初版は1929)、ドイツ語圏とロシア語圏ということもあり、おそらくシュテーケルとバフチンは互いにまったく知らなかったはずである。英語圏ではバフチンの対話理論を取り入れた心理療法論も展開されているが(Hermans and Dimaggio, 2004)、彼らは基本的にヴィゴツキー派であり、残念ながら臨床家シュテーケルの理論には誰も言及していないようである。

 さて、論文「思考のポリフォニー」(Stekel, 1924)は、ラパポート(Rapaport, 1951)による抄訳がある。論文「思考のポリフォニー」の独語原著は入手困難のため照合できないのであるが、ラパポートの訳文と『サディズムとマゾヒズム』の英訳を比較したところ、ほぼ同一であった。したがって、論文「思考のポリフォニー」が、ほぼそのまま『サディズムとマゾヒズム』に収録されたものと考えるのが妥当であろう。

 思考は、現実原則と快楽原則という二つの原則の支配下にある。われわれにとって意識的な大部分の思考は、現実原則によって方向づけられている。では、快楽原則は、現実原則が一時停止されたときにそれと交代して優勢になる類のものなのであろうか。彼が言うには、二つの原則は絶え間なく争っており、われわれの現実に即した判断は、そのような争いのうちにある快楽原則を基盤として引き出されている。われわれが現実を志向している場合であっても、ほとんどは無意識的なものであるが、快楽を求める傾向はいまだにうごめいており、言葉によっては表現されない秘匿された世界があるのだ。

 こうした発話と思考とのあいだにあるズレ、あるいは自分が口にしたいことと、しようと思えば口にすることはできるが発話されないこととのあいだにあるズレは、われわれの内的世界はひとつの考えではなく、いつも多くの考えによって満たされていることを意味している。これを音楽に喩えると、発話によってはひとつの「主旋律(melody)」しか表現されないが、そこには全体としての「ポリフォニー、多声音楽(polyphony)」が鳴り響いており、その他の「インナーボイス(inner voice)」や、旋律に対して「対位法的に対置された声(counterpoint)」は、隠されたままになっているということになる。

 このように、思考とは水面しか見えない流れのようなもの、つまり旋律しか聞こえないオーケストラの演奏のようなものである。水面に浮かぶ旋律は言葉によって形成され、発話される思考であり、背景で鳴り響くオーケストラの演奏は発生期の状態にある思考、つまり「言葉を欠いたイメージ」あるいは思考がそこから姿を現わす下部構造としての「観念奔逸(flight of ideas)」なのである。

 われわれが考えを言葉にする以前に起こっているのは、現実原則と快楽原則の争いであり、たいてい現実原則が勝利してそれが発話となる。その意味で思考過程の最終産物としての発話というのは、一次過程思考がそうであるように、表出されることを求めるさまざまな声の争いが圧縮された、妥協形成物であるといえる(圧縮は一次過程に固有のものではない)。たとえば、言い間違いは、互いに対立するエネルギーの流れ同士が絶え間なくぶつかり合った結果として理解されるであろう。言葉に先立つ思考過程には、対立する衝動同士の葛藤が生起しているのである。

 次に、ポリフォニーの発達論、つまりわれわれの文化が、道徳的な見せかけとしての役割を演じることを余儀なくさせることについてである。教育や文化の影響によって、もともと上声であった原始的な思考は、「低音(bass)」ないし下声になる。教化によって、憎しみへの傾性を放棄することを余儀なくされ、それが思いやりや、礼儀や、世渡りのうまさなどに取って代わられることになるのである。こうしたポリフォニーの構造変化によって、発生的に最初からあったリアクションはしだいに背景に退くことを余儀なくされ、社会的な形式のふるまいが自動化されることになる。それは、子どものシミュレーション能力の上に築かれるのであるが、このようなふり(pretense)それ自体が、最終的には見せかけ(hypocrisy)になるのである。

 このようにして、われわれは理想自我にしたがってふるまい、話をするようになる。そのため、愛他的な理想自我ないし道徳的自我が「上声部(upper part)」になり、自己本位な本能的自我が「対位法的に対置された声」になるので、憎しみが、たいていサディスティックな音調を帯びている「対位法的に対置された声」として形成される。これが、「両価現象(bipolar phenomenon)」と呼ばれるものである。しかし、この反対のパターンもまたある。たとえば、非道徳的な規範にしたがって生きたい奔放な人は、対置された声が明らかに倫理的である。非社会的な人のインナーボイスは、道徳的な良心の声なのである。

 では、シュテーケルは神経症についてどう考えていたのであろうか。彼は神経症のことを、機能的神経障害すなわち「パラパシー(parapathy)」と呼んでいる。神経症というのは、脊髄(過去、未開人、原始人)と、脳(未来、文明人、超人)とが、葛藤する結果として惹き起こされるものであり、神経症者では心と身体の均衡が崩れている。神経症においては、「極域の声(anti-polar voice)」がかき消されたり、それが症状や症状行為に姿を変えてしまうわけであるが、基本的にはポリフォニーの調和が乱れて、「調子はずれの音(deviating tone)」が「不協和音(dissonance)」となり、耐えがたい脱ハーモニーの状態に陥ることである。

 この脱ハーモニーについて自己懐疑を例として説明しよう。懐疑の声はバイポラリティの精神内知覚である。懐疑とは、思考のハーモニーが乱れて「下声(lower voice)」が耳につき、あるいは「対位法的に対置された声」がひどく耳障りとなり、「上声(upper voice)」をかき消してしまうことである。内声と「対位法的に対置された声」、それに上声と対立する声たちは、前面に出てみずから指揮することを望んでいる。そうした声たちの感情負荷は上声のそれよりも強くなり、もはや音楽に和声をつける二次的な役割には満足せず、突然に沸きあがって心的オーケストラの指揮を支配するのである。

 われわれが耳を傾けるべきなのは、上声つまり「先行声部(leading voice)」ではない。形式的な上声の分析をしても、「脱ハーモニー(disharmony)」の状態は解消されないのである。耳を傾けるべきは「内声(middle voice)」あるいは「対位法的に対置された声」であり、そうした「内声部(middle parts)」を言葉にもたらすところにこそ治療者の技量がある。けれども、神経症者は分析家の前で、社会のなかでそうしているような仕方でふるまい、原始的なリアクションや考えを隠そうとする。もちろん、夢の中ではポリフォニーの再調整が行われるので、内声と「対位法的に対置された声」が上声部になるわけであるし、あるいは分析中の発話のなかに突然快楽原則が姿を現わすこともあるのだが、基本的に重要なインナーボイスが自発的に口にされることはないのである。

 分析が成功して神経症が解消されると、「後続声部(second voice)」はもう不協和音とはならない。内声は思考全体に浸透し、自分の性格構造ないし思考のポリフォニーのうちに居場所を見つけて、ポリフォニーが変化するのである。つまり、ポリフォニーは、脱ハーモニーからハーモニーに移行するのである。インナーボイスの全体がそろった思考のポリフォニーとは、楽譜を読み取るようなものである。だが、たんなる自由連想法では上声しか聞き分けることができない。それを実現するには、分析家の能動的な姿勢と直観が必要なのである。

 このように、分析の目的は、その人に特有のポリフォニーをあらわにして、脱ハーモニーの状態を解消することである。したがって、彼にとってあらゆる精神分析(psychoanalysis)は、精神総合(psychosynthesis)を意味している。この点については、ピエール・ジャネ(Janet, P., 1914)の見解と軌を一にするものであろう。

 以上、シュテーケルのポリフォニー論について要約した。彼のポリフォニー論は、基本的にイントラパーソナルなコミュニケーションの世界を描き出したものである。その意味でいえば、ヴィゴツキーとルリヤの私的発話論、ミードとサリヴァンの社会理論、フェアバーンなどの精神分析的対象関係論、ユングの下位人格論、ジャネの同時的心理存在論、ワロンの自我形成論などの、近縁に位置づけられるであろう。

 

.おわりに

 

 シュテーケルはどうして自殺したのであろうか。その顛末については、彼の自叙伝(Stekel, 1950a)に掲載されている妻の証言に明らかである。彼は、フロイトと決別したために精神的な失調をきたしたのではなかった。第二次世界大戦という時代背景を無視することはできないが、持病の糖尿病が悪化し、痛みのうちにみずからの生命を絶ったのである。この事実を知ったとき、一糖尿病患者である私は愕然とした。思いもよらない結末であったからである。

 彼が糖尿病の診断を受けたのは、ドイツのバーデン・バーデンで精神療法会議が開かれ、そこでクレッチマーと対面した年であるから、おそらく1930年のことであろう。会議直後に検査を受け、診断が確定したようだが、症状としては膀胱疾患や口渇があったとのことである。入院して絶食療法や糖質制限ダイエットなどによって治療し、退院後は適度の食事と運動を心がけたようである。

 その後彼は、インシュリンを注射して血糖値をコントロールしていたようである。しかし、次第に病状は悪化し、糖尿病からくる合併症に苦しむようになっていった。身体のだるさ、意識消失発作、狭心症、眠れないほどの下肢の痛み、眼底出血などである。死の直前には黄疸をきたし、足が壊疽して歩くこともままならなかった。そして、遺書を残し、鎮痛薬を大量服薬してこの世を去ったのである。1940625日、享年72歳であった。

 遺書を残しているわけであるから、彼のした行為は自殺である。しかし、みずから選択した安楽死としても理解されないであろうか。そう、フロイトの最期のような。

 

注 釈

 

 現象学的な色彩の強いシルダー(Schilder, P.F., 1935)も、無意識の概念に疑問を呈していることは注目されるべきであろう。すなわち「私は、意識的性質を持たない精神過程は存在しないと考えている。もし無意識というものが、まったく意識できないということを意味するのであれば、精神的無意識について語ることはできないと考えるからである」である。

 

文 献

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Stekel, W. (1953b) Sadism and Masochism Volume 2: The Psychology of Hatred and Cruelty. Liveright, New York. English Translation by Louise Brink. Original Work Published in 1929.

Stekel, W. (2005) On the History of the Analytical Movement. Psychoanalysis and History, 7(1), 99-130. Original Work Published in 1926.

Timms, E., Segal, N., and Stanton, M. (1988) Wilhelm Stekel: A refugee analyst and his English reception. In: Freud in exile: Psychoanalysis and its vicissitudes. New Haven, Yale University Press, pp. 163-174.

Van Teslaar, J. S. eds. (1925) An Outline of Psychoanalysis. Modern Library, New York.(本書にはSex and DreamsPsychoanalysis and Suggestion Therapy収録の論文が、各一編ずつ収められている)



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