九月十日に急逝した田辺浩三さんのこと。


 12日の夜に県民文化ホール・オレンジで、グループる・ばる公演『八百屋のお告げ』(作:鈴木聡)を観劇して、ネガティヴ志向は感情に流されてのもので、ポジティヴ志向は意志の力によるものだという台詞を本当にその通りだと思いつつ、問題は、その意志の力をどこから生み出すことができるのかということだろうなどと考えたりしながら帰宅したら、思いも掛けなかった訃報が飛び込んできていた。

 僕が自主上映の活動に携わる前から上映活動を行ない、僕が手を引いた2001年から後いまなお続けていたユニーク極まりない高知の名物男が、きっと“八百屋のお告げ”を聞くこともなく、逝ってしまっていた。ちょうど半年前にスーパーローカルヒーロー』(監督 田中トシノリ)を観たときの映画日誌に書いたように、通常の人の物差しでは測れないところのある人物だったが、過酷とも自業自得とも言える厳しい環境のなかで、明るくボヤキながら意志の力でポジティヴ志向を貫き通す人生を全うしたような気がする。

 2016年 9月10日夜の溺死だったようだが、事故だから検視とかあって葬儀が16日に日本バプテスト連盟高知伊勢崎キリスト教会で行われるとの知らせがあり、15日の前夜式のほうに駆けつけた。二年前に私の葬儀の時に配る10ページの文章です。南木が私よりもまさか早く死ぬとは、思いもしなかったです。これを読めば、なんで、こんな自主上映人間になったのかよく分ると思います。…と添えられた綴りを貰っていたのだが、それがきちんと整えられ、葬儀の前夜式に参列したときに配られて、何とも言えない気持ちになった。葬祭会館でのものではなくて教会だったからか、近しい人ばかりによる手作り感に満ちた式で、とても心打たれた。喪主の娘さんに代わって挨拶をしていた妹さんが「普通の人のできることが何ひとつきちんとできない兄でしたが、普通の人にはできないことばかりやって、こんなにたくさんの人に見送ってもらえるような、形にはならないけれども大層なものを残していたのだとちょっと感慨深く、兄を見直しています」というようなことを語っていたのが心に残っている。

 平林牧師の奥さんが高校の同窓生だったもので、前夜式の終わった後、ちょろっと昔の話をしていたら、皆にしてあげてと言われてマイクを手にしたものの、昔の思い出話を始めるに至らない前振りで、思い掛けなくも込み上げてくるものが湧いて声にならなくなり、自分でも驚いた。顔見知りの多くが既に退席していたようだったので助かったが、少々気恥ずかしかった。

 そんなことから思い立って、僕の手元にある資料で彼の上映作品リストを作成してみた。彼の主催企画とまでは言えないようなものは除いて、窪川と高知とでの二元上映の分は1回としたうえで、僕がカウントできる分だけでも240作品(再映を含む)あった。僕が見せてもらったものは、ビデオも含めて106本(再見を含む)となる。

 そのなかで、僕にとって最も思い出深い映画は、1993年7月10日に大野見青年の家で見せてもらった太陽の子 てだのふあ['80]だ。いつものように上映会の案内を受けていたのだが、当日は子供たちを連れて一家で大野見青年の家で泊まるから観に行けないと言ってあったところ、浦山監督のこの映画はどうしても僕に見せたいといって高知の上映会の帰りの夜更けに大野見青年の家に立ち寄り、宿泊者の家族連れで観てもらうにもとてもいい映画だからと施設管理者を説き伏せ、そのまま会議室を借り受け(正式な使用申請も許可も得てないはず)フィルムを回し始めた。同じ浦山監督のアニメーション作品『龍の子太郎』['79]も上映したのだが、実に怪しい風体の彼の声掛けに応じて観に来た宿泊家族は誰もなく、けっきょく僕一人のための上映会になってしまった。だけど、これで僕に浦山の『てだのふあ』を見せることができたと彼は満足げに窪川に帰っていった。僕の妻が彼を初めて観たのは、多分この時だと思う。「あの人は、どういう人なの? どうしてそこまでしてあなたに見せようとしてくれるの?」と問われ、「わからない」としか言いようがなく、とても可笑しかった覚えがある。

 そんな彼に魅せられながらも、彼の破格には付き合い切れずに仲違いしたり、離れたりした人は数多くいて、少なからぬ人が付き合い切れないと、時に非難もしたりしていたが、並みの者が近づき過ぎるとそうなることは目に見えていたので、僕は、適度に距離を取っていたぶん、嫌な思い出は何ひとつない。(公共ホールのロビーなどで僕の姿を観留めると大きな声で「山本センセー」などと呼び掛けてきたり、彼の上映会に参加すると、前口上のなかで観客席にいる僕を映画評論家などと騙って言及するなどという、ちょっと困ったことは、いくらでもあったが(苦笑)。

 とにかく、自分が強い想いを抱いた作品を一人でも多くの人に見せたいという気持ちに溢れていて、しょっちゅう暴走もしていたが、その暴走には呆れながらも悪意が感じられないから、1981年10月から2016年 9月に亡くなるまで35年間も続けて来られたのだろう。20年前に僕が高知の自主上映から-「映画と話す」回路を求めて-』発行:映画新聞、発売:フィルムアート社)を上梓したとき、ひどく感心しながら、第二章の「1 自主上映とは何か」のなかで記した自己表現としての自主上映に共鳴してくれたのだが、僕にそのフレーズを思い付かせてくれる一番手の活動をしていたのが彼だったような気がする。

 当時、既に全国では自主上映といった映画愛好者による上映活動自体が廃れていき、アート系などという極めて誤解を招きやすいラベリングのされるような作品群や単館系と言われる公開劇場の少ない作品群は、ミニシアターと呼ばれる“映画のセレクトショップ”のような少し洒落た劇場で見せていくものだというのがトレンドだった。しかし、固定費の嵩む劇場型の展開に踏み出せるほどの人口的背景を持たない地方都市では、ミニシアターは出現せず、どんどん映画館も自主上映も廃れていっていた。

 そのような状況にあって、高知は異常に自主上映が盛んだということで注目されたのが、拙著が上梓された一番の理由だったような気がしているのだが、当時、二桁を数え上げることが可能だった自主上映団体のなかで、今に至るまでずっと活動を継続してきているのは、B級遊民をシネマサンライズに改名した吉川修一さんと窪川シネマクラブを小夏の映画会に改名した田辺浩三さんだけだ。1996年 3月に「サヨナラお別れ映画上映会」として清水宏監督の『小原庄助さん』['49]を上映しながら、程なくして小夏の映画会として上映活動を再開したときに、「最後まで続けるのは、サンライズの吉川さんと小夏の田辺さんだけだろう」と高知映画鑑賞会の川崎さんに話したことを思い出す。このとき僕が言った「最後」というのは、高知から自主上映の灯が消える最後の日までという意味での最後だったが、田辺さんについては、彼の人生の「最期」のほうになってしまった。

 最後の上映会となった今月4日の『時代屋の女房』['83]には行かなかったが、その前の『ウンベルト・D』['51]も『人魚伝説』['84]も観逃さずに済んでよかった。とりわけ人魚伝説』の上映会は、田辺さんの真骨頂とも言えるような企画で普段にはない立派なチラシも印刷した力の入ったものだったが、招聘した講師の木田節子さんが、反原発活動に携わるなかでの自身の家庭的な面での苦衷についても実に率直に語り、被災地や被災者における飾りなき実情を“身から出た言葉”で冗談口を交えて重ねるなかに、並々ならぬ肚の据わりようを感じさせてくれて、少なからぬ感銘を受けた。

 利権社会としての日本の暗部について原発立地を素材にしているとはいえ、志摩を波摩に置き換えた街での“夫を殺害された海女の復讐譚”という、余りにB級娯楽テイストに徹した画面作りをしたカルトムービーの上映会を、こともあろうに福島原発立地である富岡町からの避難者であり、被爆労働者の母として反原発運動に加わり三年前の参院選に立候補していた女性の講演会と組み合わせるような剛腕企画の上映会や、敬老の日にちなんだ上映会をと求められて、真剣に考え込んだ結果として、これしかないと木下惠介監督の楢山節考['58]を上映してしまうような自主上映活動によって自己表現をしてくれるスーパーローカルヒーローがいなくなってしまったのが、残念でならない。

 最後に、あたご劇場の水田さんがお亡くなりになったときと同じく、僕が彼に見せてもらった数々の作品から、ベスト・トゥエンティ・ファイヴならぬモスト・インプレッシヴ・トゥエンティ・ファイヴを観た年次順に並べて、冥福を祈りつつ感謝の意を捧げたい。


推薦テクスト:「チネチッタ高知」より
http://cc-kochi.xii.jp/hotondo_ke/16100201/


 
田辺浩三さんに見せてもらった印象深い作品25
タ イ ト ル 年月日 場 所
『襤褸の旗』['74] '91.10.27. 平和資料館・草の家
『地の群れ』['70] 大塚和祭 '93. 4.30. あたご劇場
『太陽の子 てだのふあ』['80] '93. 7.10. 大野見青年の家
『手をつなぐ子等』['63] '95. 4.23. 平和資料館・草の家
『軍旗はためく下に』['72] '95.12. 8. あたご劇場
『原子力戦争』['78] '97. 1.11. VTR
『二十四の瞳』['54]特集:巨匠映画監督 木下恵介の世界 '98.12. 8. あたご劇場
『A』['98] '98.12.28. VTR
『陸軍』['44] '99. 1.15. VTR
『にっぽん戦後史 マダムおんぼろの生活['70] '99.11.14. 平和資料館・草の家
『とべない沈黙』['66] '00. 4.22. 平和資料館・草の家
『山河あり』['62] '00. 6.10. 平和資料館・草の家
『母』['63] '01. 5.13. 平和資料館・草の家
『ファザーレス~父なき時代~』['98] '01. 6.17. 自由民権記念館
『警察日記』['55] '01.10.27. 平和資料館・草の家
『にごりえ』['53] '02. 4. 7. 県立文学館
『細雪』['50] '02. 6.22. 県立文学館
『暁の脱走』['50] '02. 8.24. 県立文学館
『美しさと哀しみと』['65] '04. 6.20. 県立文学館
『切腹』['62] '10. 8.22. 龍馬の生まれたまち記念館
『楢山節考』['58] '10. 9.26. 龍馬の生まれたまち記念館
『少年』['69] '12. 5.13. あたご劇場
『家族』['70] '13. 3.20. 龍馬の生まれたまち記念館
『愛と希望の街』['59] '13. 7.21. 龍馬の生まれたまち記念館
『人魚伝説』['84] '16. 6.26. 龍馬の生まれたまち記念館
 
by ヤマ

'16. 9.19. HP「間借り人の映画日誌」更新



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