『ファザーレス 父なき時代』
監督 茂野 良弥


 この作品の持つ圧倒的な力は、生々しさといった言葉で片付けられるほど生易しいものではない。自傷癖のある主人公、村石雅也自身が企画し、自分の家族をも含めて、まさしく血を流しながら綴った魂の再生の記録だからだ。あまりの強烈さに、他者として居合わせ、映画を観るという形で目撃することにいささかたじろぎながら、もはや二十年も前になる教護院に勤めていた時分のことを思い出した。

 非行少年として収容された中学生たちを前にして、当時、僕が最も伝えたかったことは、今ある彼らの不幸を決定づけ、最大の責を負っているのは確実に彼ら自身ではないけれども、その責を誰かに負わせていても、彼らの不幸や犯したツケを代わって引き受けてくれる者はどこにもいないということだった。それは、彼らがしばしば口にしたように、親であり、教師であり、社会であるかもしれないが、そのせいにしたって彼らの不幸は絶対に解決しない。そして、不幸の発端ではなく、解決しない不幸に自分の身を置き続けていることの責は、他ならぬ自分が負うべきものであるという厳しい自覚からしか何も始まらないということを年端もいかない若者に求め、伝えようとしていた記憶がある。だが、生半可なことで果たせることではなく、なかなか力が及ばなかった。

 この映画でも22歳の雅也は、今ある自分に対する肯定できない思いを幼い頃からの親子関係のなかで受けた傷に起因するものとして、子育てを放棄した母親を責め、家庭を省みず壊した実父を責め、両親の離婚を止めようとしなかった兄を責め、いたわってくれなかった義父を責めていた。そして、あくまで自分は被害者としての立場に留まっていた。雅也が自らのそういう視線から脱却し始める契機となったのが、映画で雅也自身の口から語られた「義父が小学校一年で家出をしたという言葉が引っ掛かっていた」というものだ。このとき初めて彼は、小学校一年で家を出て橋の下で一人暮らした義父に比べて、小学校四年の自分は何もしなかったという視線を獲得できたのではなかったか。

 ここに、この奇跡のような、家族の魂の再生を記録できた作品の鍵があるように思う。自分の記憶を辿るまでもなく、小学校四年の少年に、そのときすべきことを何もしなかったではないかと突き付けられる自負を自らの人生として語れる人間は滅多にいない。被差別部落の出身だという義父の、四十前にして初めて知った女として九歳上の母と結婚した人生に窺われる辛苦と言葉の重みは、それが常に言葉足らずであるだけに胸に迫ってくる。

 そして、感慨深いのは、村石一家の人々が皆、相互にきちんと向き合えば、今や個々にはみんな性根の坐った生を表現できる人々でありながら、雅也がカメラを持ち込むまで、親子としての真の出会いを果たすことができていなかった事実と、それだけ困難なことが、カメラを持ち込み、映画にするという行為のなかでは果たせたという事実だ。単なる機材としてではなく、対象化する視線でもなく、確実に主体的な役割をカメラが果たしていると感じることのできる作品に、時として出会うものだ。僕の記憶に新しいところでは、サミラ・マフマルバフ監督のりんごなどもそうなのだが、そういう映画に出会ったとき、きまって“奇跡の物語”というような感じ方をするのは、そこに捉えられた物語に奇跡を感じるのではなく、カメラが主体的な役割を果たしたことの奇跡を感じ取っているのかもしれない。

 そういうことからすれば、雅也の義父ほどの力を持った言葉を発するだけの人生を基盤に持っていない僕が、彼ですらもカメラの奇跡の力によってようやく果たしたような雅也との出会いを二十年前に果たし得なかったのは、むしろ当然と言うべきことなのだろう。わずか二年の在職でしかなかったが、僕が得たあまりにも多くのことごとに比して、僕は彼らに何もしてやれなかった。それがいかんともしがたいものだったことをこの作品を観て改めて思ったりもするが、あのとき僕がそれなりに真剣に語り掛けた幾人かの子供たちは、今どうしていることだろう。




推薦テクスト:「「帳場の山下さん、映画観てたら首が曲っちゃいました。」」より
http://yamasita-tyouba.sakura.ne.jp/cinemaindex/fucinemaindex.html#anchor000274
by ヤマ

'01. 6.17. 自由民権記念館ホール



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