『家族』['70]
監督 山田洋次

 本作で風見一家が日本縦断をした'70年とちょうど同じ年、中1だった僕も家族で高知から大阪まで万博見物に旅したのだが、その程度の距離でも、初の“海を渡る旅”で物凄く疲労し堪えた記憶がある。何故こんな思いまでして来なきゃいけないのかと腹を立てたものだ。長崎伊王島から北海道根釧原野までの旅の難儀は、その何倍だったのだろう。4月6日に島を出て、赤ん坊の葬儀を挟みつつ、4月10日には辿り着く強行軍が、どれだけ過酷だったかは想像も及ばないところだが、乳児や老人の命を奪うだけのものだったとしても、変ではなかったのだろう。新幹線が“夢の超特急”と呼ばれ、まだ東京〜新大阪間しか開通していなかった時分のことだ。

 それにしても、あの高度成長期も通り過ぎた時点で、まだ開拓民というような形での入植が北海道にはあったことに驚いた。風見家族が最後発だとしても、精一(井川比佐志)の頼った同郷の亮太(塚本信夫)が八年前ということだったから、'60年代に入ってからということになる。ちょうど九州の炭鉱に閉山の嵐が吹き荒れた頃ということになる。日本中で「人類の進歩と調和」を謳いあげる大イベントに浮かれ、テレビ放送でお笑い番組を愉しむ生活にまで戦後復興している傍らにおいて、一家で故郷を捨てる命がけの入植が行われていたわけだ。

 久しぶりに観賞してみて最も強く思ったのは、本作の笠智衆は群を抜いているということだった。まるまる20世紀の90年を生き、生涯現役を続けた彼の全作を観ているわけでは無論ないものの、ベストアクトだという気がした。

 長崎伊王島で長男精一から問われて嫁の「民子(倍賞千恵子)の言うとおりにしたらええ」と返すとき、自分を引き取れないという高給取りの次男(前田吟)との福山駅での別れに際して「もうこれで会えんかもしれんばい」と声を掛けるとき、東京で娘を亡くして動転している長男に「父親のお前がしっかりせんでどぅすっとか!」と叱責し、とっておきの万札を数枚財布から取り出すとき、上野公園で肉饅頭の施しを受けた孫息子に「お前が欲しいと言うたんか?」と問い質し、代金を持たせて支払いに行かせるとき、北海道で開拓民たちの歓待を受け「ひとつ唄わしてもらいます」と炭坑節を歌うとき…、どれもこれもが抜群だった。

 また、仰角で捉えたエンディングの倍賞千恵子は神々しくさえあって、民子を通じて彼女が体現していた女性の靭さと明るさ、そして痛みに心打たれる作品だった。
by ヤマ

'13. 3.20. 龍馬の生まれたまち記念館



ご意見ご感想お待ちしています。 ― ヤマ ―

<<< インデックスへ戻る >>>