『太陽の子 てだのふあ』['80]
監督 浦山桐郎

 三年前の九月十日に急逝した田辺浩三さんのこと。に記したように、個人的にも思い出深い映画で、'93年度のマイベストテンにも選出した作品だ。所用により40分ほど遅れてながらも、まさに沖縄「慰霊の日」に四半世紀ぶりの再見を果たすことができて感慨深かった。

 ちょうど前日に沖縄スパイ戦史を観たところだったので、波照間島出身の直夫(河原崎長一郎)がマラリア孤児になっている設定に関して、四半世紀前よりも思うところが深くなったように感じる。しかも彼は、ドキュメンタリー映画『沖縄スパイ戦史』が焦点を当てていた「少年兵」でもあったようだ。加えて、本土復帰や米軍基地問題にまつわる島民としての葛藤の部分も含め、映画日誌に『判決、ふたつの希望』に描かれていたダムール虐殺事件にも重なってくるものがあるように感じた。中東のレバノンに暮らすトニーが抱えていた苦衷を、沖縄の人々は、抱えているわけだ。と綴った苦衷そのものを露にしていた彼の姿に、胸が痛んだ。

 たまたま波照間島から沖縄本島に出ていたために八人家族のなかで唯一人生存した強運を受け取っていたとの従兄の弁が皮肉な形で利いていて、彼は沖縄本島にいたからこそ、女学生たちの集団自決を目の当たりにし、それを止められも倣いもできなかった“勇気”なき自身の抱えた自責に、心を病むに至っていたわけだ。それも、愛娘の芙由子(原田晴美)が長ずるに従い、より強く三十五年前の女学生たちを想起させられるという酷な形で苛まれている姿が、何とも堪らなかった。

 加えて、直夫の自死へのトリガーを引いたのが、父親の心の病の真因を知らされずにいた芙由子の歌った旅愁にあるように描いていた本作の残酷さというものは、原作にもあったのだろうか。その歌の持つ父親にとっての意味を芙由子が知っていれば、天狗岩の高みで父親を前にして歌ったりは決してしなかったはずだ。歴史の事実をきちんと知らされないことの意味するものを端的に示していて恐れ入ったが、流石に少々残酷に過ぎる気もした。

 だが、過酷な生い立ちのなかで道を誤りかけていた沖縄出身の青年キヨシ(当山全拡)が更生して、芙由子の母(大空真弓)の営む食堂“てだのふあ”で真面目に働いているなかで起こした傷害事件にまつわる警察の事情聴取に際し、ろくさん(松田豊昌)の見せた“真の勇気”に感銘を受ける場面にとても力があって、名作であることは間違いない。自分がいきがり暴発させていた腕力ではない抗し方こそが勇気ある闘い方なのだと学んでいるキヨシの姿に心打たれた。個人における腕力を国に置き換えれば武力に他ならない。

 民間人ながら手榴弾で利き腕の先を吹き飛ばされ、もはや人を殴ろうにも殴れない身体になっているろくさんこそは、攻撃武力の行使を憲法で禁じられた日本国の姿そのものだったわけだが、彼は、“それがゆえに備えたとも言える見事な力”をいかんなく発揮していて圧巻だった。戦後三十五年の本作から更に三十五年余を経て、歴史の事実をきちんと知らされないどころか、自由主義史観などと称して“嫌なものは受け取らない幼稚な身勝手さ”を自由などと称する歴史観を標榜した連中が闊歩し、露骨に沖縄を蔑ろにするようになった日本国には、沖縄人ろくさんが備えるに至った“真の勇気”など微塵もなく、アメリカに媚びを売り、目先の利権しか眼中になくなってしまっているように感じる。

 そういう意味では、四半世紀前に観たとき以上に、波照間島出身の少年兵だった直夫の悲劇が迫ってきたように思うし、ろくさんの勇気の大切さが沁みてきた。そして生前、田辺氏が浦山作品で僕にとって個人的に特別な作品は私が棄てた女['69]だけれど、最高傑作は『太陽の子 てだのふあ』なんだ。と力説していたことを懐かしく思い出した。僕は当時、自分のマイベストテンに選出しながらも、そこまで突出している作品だとは考えていなかったのだけれども、田辺氏の言うとおりかもしれないなと、僕に見せたくて家族旅行の宿先までフィルムを提げてきた彼の熱意に改めて感慨を覚えた。

by ヤマ

'19. 6.23. 高知伊勢崎キリスト教会



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