ブログと同じ内容の要約です。

要約 1目次
1.邪馬台国
  
ナビゲーション
2放射式読み方
3卑弥呼の都  
4台与の都
5推古の風
6倭の五王
7謎の4世紀
8神話と邪馬台国
9日向3代
10日向3代の都
11初代の王
12神話の始め
要約 2目次
要約 3目次
要約 4目次
要約 5目次

(邪馬台国と大和朝廷を推理する)     ホームへ
とんぼおい みちがわになる やまあるき
邪馬台国 簡単ナビゲーション

4.台与の都

宇佐市では、青森の加茂神社と、和気の和気神社と、南宇佐の宇佐八幡宮が一直線に並んでいます。
さらに加茂神社の東には、貴船神社と境山が一直線に並んでいます。ここにも三宮があり、加茂神社
が台与の都だと思います。京都の下鴨神社には宇佐八幡宮と同じ玉依姫が祭られています。

その墓は、宇佐八幡宮の境内にあるかもしれません。しかし台与の治世の後半には、大和に都を移し
た可能性があります。当然ながら、台与の墓が大和に作られた可能性が強いと思います。

266年に倭国の女王が晋に朝貢しました。この女王は台与と見られます。この年、すでに邪馬台国が
大和に移っていれば、その情報が陳寿にも届いた可能性があります。もしそうなら、意外なことに、
大和説と九州説はどちらも正しいという可能性もありそうです。

倭国の地理は、海を渡ったり陸を伝ったりして、一巡り五千里になるといいます。対馬から怡土
(いと)・宇佐を経由して四国に渡ると、ちょうど五千里です。しかも『後漢書』の記事を採用すれ
ば、邪馬台国と狗奴国を合わせて五千里になります。これが、台与の時代の中国人の倭国観だった
のでしょう。

ここには、年月の経過による情勢の変化が表れています。台与の時代には、東方進出を見据えて、都
を宇佐に移したと思います。

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