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(邪馬台国と大和朝廷を推理する) 
とんぼおい みちがわになる やまあるき
邪馬台国 簡単ナビゲーション
宇佐市では、青森の加茂神社と、和気の和気神社と、南宇佐の宇佐八幡宮が一直線に並んでいます。
さらに加茂神社の東には、貴船神社と境山が一直線に並んでいます。ここにも三宮があり、加茂神社
が台与の都だと思います。京都の下鴨神社には宇佐八幡宮と同じ玉依姫が祭られています。
その墓は、宇佐八幡宮の境内にあるかもしれません。しかし台与の治世の後半には、大和に都を移し
た可能性があります。当然ながら、台与の墓が大和に作られた可能性が強いと思います。
266年に倭国の女王が晋に朝貢しました。この女王は台与と見られます。この年、すでに邪馬台国が
大和に移っていれば、その情報が陳寿にも届いた可能性があります。もしそうなら、意外なことに、
大和説と九州説はどちらも正しいという可能性もありそうです。
倭国の地理は、海を渡ったり陸を伝ったりして、一巡り五千里になるといいます。対馬から怡土
(いと)・宇佐を経由して四国に渡ると、ちょうど五千里です。しかも『後漢書』の記事を採用すれ
ば、邪馬台国と狗奴国を合わせて五千里になります。これが、台与の時代の中国人の倭国観だった
のでしょう。
ここには、年月の経過による情勢の変化が表れています。台与の時代には、東方進出を見据えて、都
を宇佐に移したと思います。
宇佐の地図はこちら
家の洗い、マンションの洗い、換気扇の洗い等。
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