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(邪馬台国と大和朝廷を推理する) 
とんぼおい みちがわになる やまあるき
邪馬台国 簡単ナビゲーション
10崇神天皇以前の在位年表は、次のようになります。この時代の物語は中国では邪馬台国の話にな
り、国内では神話になりました。その人物比定もしておきます。
9孝元 (247後半〜275後半) アマテラス 台与
8開化 (245後半〜247前半) オシホミミ 難升米
7孝霊 (208前半〜245後半) アマテラス 卑弥呼
6孝安 (198後半〜207後半) スサノオ 一大率(都市牛利)
5孝昭 (174前半〜198前半) イザナギ ―――
この時代、邪馬台国は小国でしたが、鉄器を手にして、南や東へと勢力を拡張しました。スサノオや
オシホミミは退位させられたのではなく、姉や后に皇位を譲って出雲勢力との戦いに出たのです。イ
ザナギの后のイザナミは出雲に葬られています。二人の間にはいさかいがあったと思われます。二人
の結婚によって手を結んだ両勢力が再び対立したのでしょう。これが、2世紀末の倭国大乱です。
卑弥呼は狗奴国(出雲勢力)との戦いを有利に進めるために、難升米を魏に遣わしました。その時の
副使の都市牛利は一大率(スサノオ)でしょう。この二人が魏に行けたのは、スサノオの兄のツクヨ
ミに後を託すことができたからでしょう。オシホミミの子孫という日向三代は、実はイザナギ・スサ
ノオ・オシホミミの別名です。神話は複数作られたようです。神話の中に別の神話が混在していま
す。
家の洗い、マンションの洗い、換気扇の洗い等。
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