(邪馬台国と大和朝廷を推理する) 
とんぼおい みちがわになる やまあるき
邪馬台国 簡単ナビゲーション
イザナギ(5孝昭天皇)は、日本列島を生んだとされていますから、それ以前の神々は朝鮮半島にいた
と考えなければ話が合いません。
4懿徳 (157前半〜173後半)
3安寧 (138前半〜156後半)
2綏靖 (121後半〜137後半)
1神武 53〜121
2綏靖(すいせい)天皇の即位した121年に、高句麗では七代王の遂成(すいせい)が即位しました。
遂成の父の宮は、7才で即位して75才で亡くなりました。一方1神武天皇は東征から8年目に即位して、
治世76年目に亡くなりました。宮の年令を数え年にすると、二人の数字が奇妙に一致します。これは
偶然ではなく、二人は同一人物だと思います。
108年に後漢に朝貢した倭国王の帥升(すいしょう)も遂成のことと思います。おそらくこの頃に宮の
支配が韓国から北九州にまで及んだのでしょう。
しかし130年頃には別の王が高句麗で即位しています。高句麗の大帝国は分裂したようです。半年暦で
百済王と新羅王の在位年表を復元すると、両国の建国は2世紀中頃です。高句麗の分裂後の混乱の中か
ら新羅と百済が生まれたのです。
家の洗い、マンションの洗い、換気扇の洗い等。
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