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●天保元年(1830)
●天保2年(1831)
●天保6年(1835)
●天保7年(1836)
●天保8年(1837)
●天保9年(1838)
●天保13年(1842)
小川泰堂「我が住む里」できる。このころ、箱根宿の木地師61人と伝わる。
渡辺崋山「遊相日記」できる。
高座郡赤羽根村の歌人村野もと子(一貞尼)の歌集「はなのなごり」刊行される。
大磯宿で打ちこわし。
足柄上郡中里村名主が「飢饉録」を記録する。
米船モリソン号、日本人送還のため浦賀沖に停泊。浦賀奉行、砲撃。(モリソン号事件)
二宮尊徳、小田原藩領民の救済を始める。
伊勢原の加藤宗兵衛、下野桜町の二宮尊徳に教えを乞う。のち、茶業を営む。
10月−勘定吟味役・川村修就(ながたか)、砲台設置場所選定(総州、房州、相州、豆州の浦々御備場検分)のため
12月まで各地を廻る。