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●延享3年(1746)
●延享4年(1747)
●宝暦3年(1753)
●宝暦7年(1757)
●宝暦12年(1762)
橘樹(たちばな)郡大師河原村名主池上幸豊、新田100町歩の開発願を代官に差出す。
幕府が浦賀での廻船の検査を緩和し、武器以外の禁制品の江戸移入を許可する。
幕府が下総・上総・安房3国の干鰯の1割をを相模浦賀に水揚げするよう命じる。
池上幸豊、海辺15町歩の新田開発を許される。宝暦9年完成。767両余を費す。
11月6日−幕府が,陪臣・浪人の子が旗本の養子となることを制限する。
地上幸豊、白・黒砂糖の製造に成功。