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●天明2年(1782)
●天明4年(1784)
●天明5年(1785)
●天明7年(1787)
●寛政3年(1791)
●寛政5年(1793)
●享和2年(1802)
7月15日−14日につづいて江戸とその周辺が大地震に襲われ、とくに小田原では
城郭から民家まで大きな被害をだす。
閏1月16日−幕府が米価高騰のため、関東・東北・信濃の農民へ余剰米の販売を命じる。
2月10日−幕府が、江戸に関八州産の菜種の買受問屋2軒,村々に買次ぎ200人を指定し、
大坂回しと自給分以外の販売を命じる。
10月7日−幕府が、関八州および伊豆・駿河の諸河川の稼ぎ船から農業船までに
極印登録をして課税を試みるが、強硬な反対運動にあい中止する。
12月22日−米価高騰のため、土平治に率いられた津久井郡の農民が、
翌年1月にかけて穀物商宅などを打ちこわす(土平治騒動)。
8月6日−大風雨で江戸・相模が高波、山崩れに襲われ、大被害をだす。9月4日、
ふたたび大風雨が襲来。
3月〜4月−老中松平定信が関東沿岸を巡視する。
7月1日−6月25日より降り続いた雨で、江戸が洪水に見舞われ、箱根温泉場が流失する。