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●天明5年(1785)
●天明8年(1788)
●寛政4年(1792)
●寛政6年(1794)
●寛政11年(1799)
●寛政12年(1800)
●天明4年(1784)
閏1月16日−幕府が米価高騰のため,関東・東北・信濃の農民へ余剰米の販売を命じる。
2月10日−幕府が、江戸に関八州産の菜種の買受問屋2軒,村々に買次ぎ200人を指定し、
大坂回しと自給分以外の販売を命じる。
10月7日−幕府が、関八州および伊豆・駿河の諸河川の稼ぎ船から農業船までに
極印登録をして課税を試みるが、強硬な反対運動にあい中止する。
12月−幕府が,凶作により末耕作地の多い陸奥・常陸・下野からの江戸出稼ぎを
制限し,また年季明け奉公人の帰村促進をはかる。
5月17日−幕府が近年の災害のため,寛永寺・比叡山のほか出雲大社・宇佐八幡社・
鹿島神宮・香取社などに五穀豊熟の祈驚を行わせる。
12月27日−湯島聖堂の儒官岡田寒泉が幕府領7郡の代官に転任する。
秋−水戸藩士・藤田幽谷(ゆうこく)が農政書「勧農或問」を著す。
土浦藩主・英直(ひでなお)により土浦城内二の丸に藩校郁文館(いくぶんかん)が創設される。
間宮林蔵、蝦夷地御用雇となって幕吏村上島之允に伴ない蝦夷地に渡る。