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●文久元年(1861)
●文久2年(1862)
●文久3年(1863)
●元治元年(1864)
8月−武市半平太、帰国。
9月25日‐土佐勤王党を結成(坂本竜馬ほか190余名が加盟血判)。
秋−竜馬、剣術詮議のため讃州丸亀城下に赴くとの名目で長州・萩に向けて発つ。→
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土佐藩参政吉田東洋が「海南政典」を編集、制定される。
2月−竜馬、萩から帰国。
3月3日−土佐勤皇党沢村惣之丞、脱藩。
3月7日−土佐勤皇党の吉村虎太郎、宮地宜蔵、脱藩、長州へ向う。
3月24日−竜馬、脱藩。長州へ向かう。→
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4月8日−藩参政・吉田東洋、土佐勤王党・那須信吾らに刺殺される。
文武館(後の致道館)、開設。
2月25日−坂本竜馬の脱藩が、勝海舟、松平春嶽の働きかけで赦免される。
間崎哲馬ら3士が自刃。
土佐藩、汽船南海丸を購入。
9月21日−山内容堂の命で武市半平太(瑞山)を筆頭とする土佐勤王党を一斉逮捕、武市入獄。
清岡道之助ら23士が奈半利(なはり)の川原で処刑される。