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●天明7年(1787)
●寛政6年(1794)
●寛政9年(1797)
●寛政10年(1798)
●享和元年(1801)
2月16日−池川・名野川の農民が、紙の統制反対の一揆をおこし伊予へ逃散する。3月2日、
土佐藩は国産改会所を廃止して平紙(藩へ定納する以外の紙)の自由取引を認める(池川紙一揆)。
9月−幕府が土佐藩の蜂蜜など、各大名へ薬種献上を命じる。
2月6日−郷士の高村退吾が藩士に殺害され、藩士が譴責、高村家が断絶の処分になった件で、
郷士らが反対行動をおこす(1801年、藩士追放)。
9月8日−土佐藩が家臣の町風呂入浴を禁止する。
3月−土佐藩が2、3人目出産者への扶持支給制度を復活する。
11月5日−徳島藩領の浅川村・牟岐(むぎ)浦の農民が、海部郡代の苛政により土佐甲浦(かんのうら)へ
逃散、土佐藩へ非法を訴える。
種崎町の加茂屋幸八が飛脚問屋をはじめる。