慶長年間リンク⇒ | 東北 | 関八州・江戸 | 東海・北陸・甲信 | 近畿 | 中国 | 四国 | 九州 | 洋上 | 前ページへ |
●慶長5年(1600)
●慶長6年(1601)
●慶長7年(1602)
●慶長8年(1603)
●慶長8年(1603)
●慶長10年(1605)
●慶長15年(1610)
●慶長17年(1612)
●慶長18年(1613)
●慶長19年(1614)
山内一豊が土佐の国主となる。
長宗我部氏の一領具足が山内氏の入国に反対する。(浦戸一揆)
1月8日−山内一豊、浦戸城に入城、領内の巡視を開始。
3月1日− 山内一豊が桂浜で相撲を興行。
長宗我部の遺臣73人を捕らえ磔刑にする。
土佐清水に漂着していたスペイン船エスピリツ・サント号が日本船と戦って敗れ、マニラに去る。
大高坂(おおだかさ)城(現高知市)が落成。山内一豊、旧城・浦戸城を放棄し大高坂城に移り、河中山(こうちやま)
城とよぶ。
長宗我部氏の遺臣高石左馬助らが滝山で山内一豊の藩政に抵抗するが、鎮圧される。(滝山騒動)
山内一豊死去、61歳。
河中山を高智山とする。(五台山竹林寺・空鏡上人による改名)
山内忠義が75ケ条の法度と諸法令を制定する。
香我美(香美)郡山田・野地村ではじめて郷士を登用する。
《長宗我部盛親(土佐国前国主)、大阪城に入城する。》
山内忠義、大阪冬の陣に参戦。