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伊予国年代リンク
慶長(1596〜1614)
元和(1615〜1623)
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正保(1644〜1647)
慶安(1648〜1651)
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明暦(1655〜1657)
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元文(1736〜1740)
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文化(1804〜1817)
文政(1818〜1829)
天保(1830〜1843)
弘化(1844〜1847)
嘉永(1848〜1853)
安政(1854〜1859)
万延(1860)
文久(1861〜1863)
元治(1864)
慶応(1865〜1867)
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伊予国(元文・寛保年間)

●元文3年(1738)
大洲藩領喜多郡五十崎(いかざき)で蝋打ちが始まる。

●元文5年(1740)
大洲藩士人見栄智『大洲秘録』を書写する。
大洲藩領喜多郡成能(なるのう)村(大洲市)の農民27人、 倹約・耕作に励むために定書をつくる。

●寛保元年(1741)
7月5日−松山藩久万山地方の農民2,843人が減免を要求。13日,耕 作を放棄して大洲藩領に逃散する(久方山一揆)。
松山藩領浮穴(うけな)郡久方(くま)農民が大洲藩領へ逃散する久方山騒動おこる。

●寛保3年(1743)
1月26日−宇和島藩が農民への農地割りをくじ持制から高持(たかもち)制に改める。