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●明和2年(1765)
●明和5年(1768)
●明和6年(1769)
●明和8年(1771)
●安永元年(1772)
●安永3年(1774)
●安永6年(1777)
7月27日−松山藩が桑村・越智(おち)両郡内の1万石を幕府に没収され、
領内の新田で石高を補填する。
松山藩、紙方仕法を定めて領内産の紙を買い占め、専売制を実施する。
宇和島藩、日土村(八幡浜市)の鍾乳石の乱伐を禁止する。
松山藩、町方役所以外の機織り取り引きを禁じる。
大洲・新谷藩領浮穴郡麻生村(低部町)と、大洲藩領伊予郡八倉(やくら)村(伊予市)、
天領同郡南神崎(みなみかんざき)村(伊予市)、松山領同村出作(でさく)村・徳丸村(松前町)と
の間に水論おこる。
8月−今治藩が茶・綿実などに新規の税を賦課する。
大洲藩領砥部(とべ)の唐津山で砥部焼が始まる。
松山藩、瓦株仲間結成(53株)、そのうち26株は野間郡浜村(菊間町)にある。
松山藩、伊予郡筒井村(松前町)に享保の飢饉で種麦を残し餓死した義農作兵衛の碑を建てる。
大洲藩、白磁の砥部(とべ)焼の製作に成功する。