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●延享3年(1746)
●延享4年(1747)
●寛延元年(1748)
●寛延2年(1749)
●寛延3年(1750)
●宝暦元年(1751)
●宝暦3年(1753)
●宝暦4年(1754)
●宝暦7年(1757)
●宝暦13年(1763)
10月−大州藩領内の商人18名が紙方仲買連中を結成する。
9月6日−大洲藩が伊予国初の藩校止善(しぜん)書院明倫堂を創設する。
7月22日−宇和島藩が藩校内徳(ないとく)館を創設し,庶民の聴講を許
す(1794年に敷教館[ふきょうかん]、1819年明倫館と改称)。
12月−京都の商人住友理兵衛が立川(たつかわ)銅山の経営請負を命じられる。
1月16日−大洲藩領浮穴郡小田町などの農民2,000人が内子河原に集結し、凶作のため特権商人の
暴利停止などを要求する内子(うちのこ)騒動おこる。
今治藩、家老服部外記などに命じ、総社(そうじゃ)川の大改修工事を行う。
9月−宇和島藩が,領民救済として領内へ銀10貫を貸し与える。
12月10日−新居(にい)郡西条藩領の農民が,検見取りによる年貢増加に反対して強訴する。
3月27日−宇和島藩が領内商人の願いを入れ,従来どおり領国産の紙・蝋などの統制をはかる。
西条藩新居(にい)郡金子村(新居浜市)曽我部伝右衛門、小松藩領大生院(おおじょういん)村(新居浜市
・西条市)市之川鉱山(輝安鉱=アンチモン)を請け負う。
7月−今治藩が各河川の河道付け替え工事を完了する。