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●文化2年(1805)
●文化3年(1806)
●文化4年(1807)
●文化6年(1809)
●文化11年(1814)
●文化12年(1815)
●文化13年(1816)
●文政4年(1821)
小島蕉園、田安領代官として赴任。
甲府学問所が大学頭林衡(たいら)によって『徽典館(きてんかん)』と命名される。
『甲斐国志』編さんのための資料調査に関する廻文が村々に発せられる。
鎮目村(しずめむら=春日居町)に富田武陵撰〃芍薬塚碑〃建つ。
2月−山梨・巨摩・八代郡幕府領585カ村の農民が甲府穀問屋・仲買の米穀流通独占反対を訴える。
河内(かわうち)領農民、楮、三つ又他国差し留め一件につき駕籠訴決行。
11月−松平定能(さだまさ)編集『甲斐国志』完成。
7月−巨摩郡の幕府領で減免が取り上げられず、農民が越訴する。
萩原治兵衛『蚕養育伝書』を著す。
塩部村(甲府市)内に元代官中井清田太夫の生祠(せいし)をまつり神明社が建つ。