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●延享3年(1746)
●寛延3年(1750)
●宝暦2年(1752)
●宝暦4年(1754)
●宝暦5年(1755)
●宝暦6年(1756)
●宝暦9年(1759)
●宝暦12年(1762)
●宝暦13年(1763)
田安領一町田中(いっちょうたなか)陣屋、一橋宇津谷(うつのや)陣屋設置される。
7月19日−山梨・八代両郡の農民2万人が新たな運上金に反対して、蚕・煙草の新規運上と徴収請負を願いでた米倉村(八代町)名主平七宅を打ちこわす(米倉騒動)。
甲府勤番士野田成方(しげかた)の『裏見寒話(うらみかんわ)』完成。
5月−山梨郡の善光寺の堂塔が焼失し,幕府は再建用材として幕府林の松材300本を与える。
猿橋に成鳥錦江(なるしまきんこう)撰文の「峡中猿橋碑」建つ。
鷹野慧広(たかのけいこう)『甲斐国三郡村高帳』版行。
山県大弐(やまがただいいに)『柳子新論(りゅうししんろん)』を著す。
山県大弐、日本式尊酒折宮旧址記念碑建立。
渡辺梅童(ばいどう)、大善寺境内に芭蕉塚を築き「俳諧甲斐塚集」刊行。
清水領下岩下陣屋設置。