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●文化2年(1805)
●文化4年(1807)
●文化5年(1808)
●文化8年(1811)
●文化14年(1817)
●文政元年(1818)
●文政2年(1819)
●文政3年(1820)
●文政4年(1821)
●文政5年(1822)
●文政6年(1823)
●文政8年(1825)
●文政9年(1826)
5月−加賀藩が、在庫がないのに米の取引をする空米(からまい)相場を農民に禁止する。
6月14日−北陸・陸奥・出羽・越後の沿岸大名がロシア船に対する警戒を命じられる。
11月−加賀藩が、青木木米を招いて春日山窯を開いて、九谷焼を復興する。
閏6月27日−農民が、米価高騰・米買い占め反対を訴え、小松町の米商を襲う。
2月−銭屋五兵衛が日本海岸で廻船業を始める。
10月5日−加賀・米価が高騰し、金沢の町民が打ちこわしをおこす。
7月26日−加賀藩が、諸郡に財政窮乏のため年貢引高などを旧に戻すように指導する。
12月6日−加賀藩が金沢に芝居座開設を許可する。
6月2日−加賀藩が、奢移禁止を犯した大庄屋などを能登島に配流する(1820.6.28赦免)。
加賀藩領の十村役の者28名が突然入牢となる。(文政の十村断獄)
4月4日−加賀藩が、金沢卯辰・石坂両町に茶屋女を許可する。
6月28日−加賀藩が十村制度による農民支配をやめ、群奉行の直轄支配とする。
金沢の竹沢御殿の庭園が、松平定信によって兼六園と命名される。
加賀藩が、加賀絹の金沢売りさぱきを許可する。
大聖寺の町人吉田屋伝右衛門が大聖寺藩江沼郡九谷に窯を開き、九谷焼を再興する。
●文政7年(1824)
加賀藩主前田斉広が竹沢御殿に教諭局を設置、寺島蔵人(くらんど)ら中級藩士を登用し、財政再建にあたる。
加賀藩主前田斉広が没し、寺島ら改革派は失脚する。
5月28日−加賀藩が従来の仕法調達銀を廃止して,領内の町方・在方に御用銀を徴収する。
6月21日−加賀藩で御用銀反対の一揆がおこる(7.9越中加賀藩領氷見(ひみ)町など
でも反対の騒動が起こる)。