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●天明3年(1783)
●天明5年(1785)
●天明7年(1787)
●寛政4年(1792)
大凶作のため、石川郡宮腰、能登輪島に打ちこわしがおこる。
8月22日−加賀藩の前藩主が藩政を掌握して路線を変更。9月11日,産物方を廃止して
荷物改所を設け流通統制をはかるが,不振と反対により翌年廃止となる。
加賀藩10代藩主の前田重教(しげみち)が御改法という徳政令をだすが、それほど効果があがらず。
加賀藩で、貧しい村の回復をめざして、貧村御仕立仕法がおこなわれる。
2月2日−加賀藩が藩校明倫堂を落成し、儒者・易家の新井白蛾(78)を
教授に据えるが,5月14日、白蛾没。