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●万治2年(1659)
●寛文元年(1661)
●寛文4年(1664)
●寛文5年(1665)
●寛文6年(1666)
●寛文7年(1667)
●寛文8年(1668)
●寛文9年(1669)
●寛文10年(1670)
●寛文12年(1672)
6月1日−加賀藩が金沢町奉行・郡奉行・寺社奉行・作事奉行・金沢会所・
算用場奉行の職務法規を定める。
加賀藩が物資の藩内移出入を制限する。(津留[つどめ])
5月−加賀藩が改作奉行をおく。
儒者木下順庵が加賀藩に仕える。
藩主前田綱紀が、明より亡命し水戸藩に招聘された儒者・朱瞬水のもとに五十川剛伯を派遣して学ばせる。
大聖寺藩の一ノ瀬用水が完成する。
加賀藩が白山麓の尾添(おぞう)・荒谷(あらたに)の2カ村を幕府に返還する。
この年、茶人の千宗室、陶工の大樋(おおひ)長左衛門が加賀藩に招かれ、金沢に来住する。
加賀藩の与力大名格の長氏に内紛がおこり、家老の浦野孫右衛門が切腹し、それに連
座して鹿島郡久江(くえ)村の十村であった道閑(どうかん)が磔に処せられる(浦野事件)。
白山麓の加賀藩領・福井藩領18カ村が幕府に収公され、天領となる。
6月16日−風水害により領内487か村の田地が損亡する。
加賀藩で、前年来の飢饉による窮民のための収容施設がはじめて設けられる。
儒者の室鳩巣が前田綱紀につかえる。
このころ河村瑞賢によって西廻り航路が改良される。